能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
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能の表現はスロー

2012-10-10 07:14:59 | 能はこうなの、と明生風に能の紹介

能は、私たち能に携わっている者でも時には不親切な芸能だと感じる。
そこで、能をよりわかりやすく、そして身近に感じていただきたいと、第92回・粟谷能の会で勤める『求塚』を粟谷明生風にご紹介したい。

里女(前シテ)が旅僧(ワキ)に菟名日処女の塚(墓)を道案内するとき、

「こなたへ来たり候へ」
と謡いながら三~五歩、目付柱の方向に動き、大小前に置かれた作り物に振り向きながら

「のうのうこれこそ求塚にて候へ」
と墓を案内する。この三~五歩の小さな移動で、菜摘をしていた生田川沿いから墓までの道のりを想像していただきたい。

三~五歩の動きは5秒ほどの短い時間だが、3~5分とも、もっと時間をかけて道案内したとも、いろいろと想像出来る。少ない動きで距離感を出す、こういう演出をするのが能の手法だ。小さな動きだが、そこに向けて能役者は大汗をかいて演じている。

『求塚』の後場で、菟名日処女の霊(後シテ)が地獄の有様を旅僧に見せるとき

「炎熱、極熱、無間の底に、足上頭下と落つる間に…」
と無間地獄に人が落ちるところがある。

能では中啓(能に使用する扇)を人と思わせて、逆さまにひっくり返す動きで、頭が下、足が上と逆さまになって落ちてゆく模様を見せる。


ではその落下速度はどのようにして表現するか?

答えは、中啓をスッと素早く少し下げた後、ゆっくりと徐々に下に下にと下ろす、だ。
これで、奥深い無間地獄までの遠距離を想像してもらおう、と演じている。

ゆっくりとした動きが遠い距離感を表現する、これも能の手法なのだ。

この手法は観る側の想像力が必要で、逆に想像力がなければこの演出効果はまったくと言って
いいほどなくなる。

「子どもの数だけ答えがある」というコピーがあるが、能も同様、ご覧になる方の数だけいろいろな想像が生まれる、そう信じて舞台を勤めている。

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