野村幻雪四郎先生のご逝去は(8月21日)帯広から羽田空港に到着すると、同行の鵜沢洋太郎さんから知らされ、もう愕然唖然で、どっと悲しみが込み上げて来ました。
 
7月16日の「納涼能」の時
「あっくんとの『船弁慶』を楽しみにしていたのに、ごめんね、残念だったよ。どうも最近、膝も悪くて困っていますよ」
 
「実は私も今、膝が悪くて困っています」
 
「そうなの、じゃお互い治して頑張ろうね。また、いつか会いましょうね・・・」
が、最後の会話となってしまいました。
 
お姿は7月19日の国立能楽堂で仕舞『井筒』を食堂のモニターで拝見したのが最後でした。
四郎先生から、能役者の心に響くたくさんのお話しをお聞きしました。
 
特に寿夫先生のお話をされる時は生き生きとされて、そのご自慢の話を録音メモしていると  
「へえ〜 あっくんは私の話を録音するんですか!」 
と、大きなお声での笑顔は、今思うと正にお狂言のお家の方の風でした。そのメモ録音は私の宝物です。
 
父・菊生を日本能楽会会長に押し上げて下さいましたのは四郎先生でした。
「私が細かな事はしますから、是非菊生先生に会長になってもらいたいんだ。あっくん、よろしくね!」
と、あの笑顔も忘れられません。
 
そして父が会長時代に亡くなると、
「あっくん大丈夫。会長に相応しい、よい葬儀をしますから安心して・・・」
と、優しいお言葉をかけて下さり応援して下さいました。
その現会長の四郎先生が、このコロナの時にお亡くなりになってしまい、会長に相応しいご葬儀が出来ないことも残念至極、もうすべてが悔しくてたまりません。
 
四郎先生との写真は見つかりませんでしたが、お聞きした『卒都婆小町』の対談は粟谷能の会のホームページに投稿しておりますので、ご紹介いたします。
 
四郎先生!
日能の会長同士
笑顔の似合う同士
父とあちらで大声で笑ってお話しをなさっていて下さい。
そのうち私、録音とメモを取りに参ります。
 
粟谷能の会ホームページ
野村四郎氏と卒都婆小町を語る
 
 
合掌


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