世の中にはA面とB面がある。ぱっと見える部分がA面、現場に踏み込まないと見えてこないのがB面。人はA面にばかり目を向けがちだが、B面こそ物事の本質が隠れていることが多い。これは登山家・野口健氏のお父上の言葉。

能にも通じるだろう。華やかな表舞台がA面だとすれば、舞台を支える役者や楽屋働きをする裏方、そして興業にかかわる人たちの心意気も重要で、それがB面であるなら、現場に踏み込んで来て見てほしい。健氏は大切なのはA面B面両方を知ることと言って、以前から興味があったアフリカを知るために、現場のアフリカ大陸のケニア、ウガンダ、タンザニア、エチオピアなどに足を踏み入れ、アフリカ大陸の自然と人や動物を撮影している。
最近発売された「野口健が見る世界」の写真集には強いメッセージが伝わるものがたくさんあるが、そこで未発表の作品が月刊誌「Pen」でご覧になれるので是非見て頂きたい。

さて、「Pen」に掲載されたアフリカの現状が衝撃的だった。アフリカでは街中を走る者は強盗・犯罪者と見なされるので決して走ってはいけない。そしてアフリカのある地域では犯罪者、或いは犯罪者と思われる人物へのリンチが横行しているという。商店街を走っていた男が盗人として周囲の人に捕らえられ、取り調べを受けることも反論することも叶わないまま、積み上げたタイヤから頭を出した状態で焼き殺された。
野口氏は「リンチは、集団心理によって人間が本来もっている残虐性にスイッチが入った状態で、最初に犯罪者を取り押さえた人は正義感からの行動だったかもしれませんが、騒ぎを聞きつけ石やナタを手に駆け寄ってくる人には理由なんてありません」と言っている。

これを見て、能『鵜飼』の前シテの石和川の鵜使いが頭に浮かんだ。禁漁区と知りながら鮎を捕る鵜使い。その行為はたちまち鵜使い仲間の知るところとなり、捕まって、ふしづけという生きたまま簀巻きにされ水中に沈められる残虐な裁きを受ける。アフリカの残虐性と似ている。正義感で鵜使いを取り押さえた鵜使いもいるだろうが、まわりの鵜使いは果たしてそこまで正義感があっただろうか。昔の、いや今でもアフリカに残る残酷な裁きはなにを意味するのか・・・。それはもしかすると自分たちへの戒めかもしれない。
禁漁区に魚はたくさんいる、捕れば大漁だ。が、それはしてはいけない。それを破ればどうなるのか。鵜使い仲間は、恐ろしい罰則を知り伝えることで規則を守ろうとしていたのだろう。『鵜飼』の鵜使いは、その見せしめとなった。昔の掟は規律、規則を否応なく守らせる、そうやって暮らしていたのだろう。子どもの頃「嘘つくと閻魔様に舌を抜かれるよ」と脅かされたが、もしも本当に舌を抜かれているところを見せつけられたらどうだろうか。世の中、もちろん自分も含めて、嘘が減るかもしれない。もっとも能は虚構の世界、能楽師の私は大嘘つきの大法螺吹きだから、舌が何枚あっても足りないだろうなあ。

文責 粟谷明生



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コメント
 
 
 
Unknown (方丈安穏)
2013-08-06 05:09:42
集団の心理、なのでしょうか・・・。
リンチに加わらないと、自分までも犯罪者側の人間と思われてしまうからなのか・・・。
リンチも、立派な犯罪だと思うのですが、正義の名の前に肯定されてしまうのでしょうね。結局一番強いのは、“大勢の意見”ということになってしまいます。
その場その場で勝ち馬に乗ることで、安心してしまう気持ちは誰にでもありますし、無意識の自己防衛手段なのかもしれませんね。
誰にでも、表と裏はありますが、両方が混ざった、“CD”の部分もあるはずで、そこをもっと前に出せば、丸く収まることが多いと思います。
 
 
 
お返事 (粟谷明生)
2013-08-06 06:21:56
方丈様
なるほど、C Dの部分も探して行きたいと思いました、
コメント有難うございます。
 
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