今日は亡父菊生の命日です。
平成18年の今日亡くなりましたので、今日で5年目。
来年は七回忌ですので、いろいろ追善の企画を考えています。
昔指導していたお弟子様に
「今日は菊生先生のご命日ですね」
と、メールが届きました。
人間は二度死ぬ
最初は肉体が滅びるとき
二度目は・・・・・・
ひとびとから忘れ去られるとき
「父はまだまだ完全に死んではいないようだ」
と思い、広島のホテルで、ちょっと涙が出た。
『天鼓』は父が好きな曲で、よく勤めていた。
父の『天鼓』はよく覚えている。
「老人がことをば、ごめんならせ給い候へ」
と、腰と膝を曲げて、屈む型をみて、私は・・
「ああいう、生な演技は、僕は嫌いだな~!」
と、父に言ったことを思い出した。
父は「ああ、そうかい」と答えただけだった。
56歳の私は、先日もっと芝居っぽく、跪いて下居して、うつむき
「老人がことをば、ごめんならせ給い候へ」
と、声を絞って堅く、爺さんを意識して謡ってみたが・・・・
「なんだろう~ これは?」
親子は、似るのかな?
歳をとると、こうなるの?
地謡に座っている20歳の息子の尚生は、
私の『天鼓』をみて、謡いながら、どう思うのだろうか・・・・
同じ能でも、能役者によって能は全然違ってくる
だから能が面白いのだが・・・・。
昨日の観月能の『融』シテ友枝昭世師の舞台はすばらしかった。
NHKの録画があったので、間違えるとたいへんなことになる。
こういう時、地謡はどうしても消極的になる傾向がある。
間違えたりしてご迷惑を掛けてはいけない、控えめに控えめに・・・と
しかし、そんなボリュームもテンションも下がった謡では能にならない!
と思って、私は必死で謡いました。
これも昔お弟子さんだった方の言葉
「菊生先生は、今日を限りと命がけで地謡を謡われていましたね」
で、私も精一杯謡いました、もしかすると地頭の声よりも大きいかも・・・
それ確認して下さい。
詳細はこちら
23年 11月 26日(土)午後3時から5時まで
NHK教育テレビ 厳島観月能 能『融』~喜多流を
ご覧頂きたくお願いします。
10月9日の粟谷能の会『天鼓』で使用した面を二面、前場「小牛尉」と後場「童子」を間近でご覧頂けるように、デジブックで公開しました。
演能レポート「天鼓」が書き上がりましたら、舞台写真も公開しますので、しばらくお待ち下さい。
デジブック 『能『天鼓』の共演者』
それにしても御公演では、父と子(亡霊)が、まるで別人が演じていらっしゃるようで、感激でした。
これからも益々のご活躍を。
どんな音楽がいいかな?
リクエストにお答え出来ますよ
但し、デジブックにある音楽
またはこれは!という音楽を送って下さい
もしかすると貼り付けることが出来るかも
色々な新しい試みを舞台でしっかり示され、能のリズム間の良さがそれを物語って居り、時代のニーズに合った総合芸術として、古典に命が蘇り、次世代に伝統芸能が伝わっていくと信じます。
粟谷様が大切にされて居られる謡、聞き応えありました。王伯の心情の低い響きから、天鼓になった心情を盤渉で伸びのある高い響きで謡われ、地謡も一糸乱れず一体となった響きが、大きなエネルギーとなり、観客を魅惑する演能でした。
粟谷様の心意気、ひしと伝わりました。
早速のデジブック、面と対話させて頂きます。
コメント有難うございました。
お褒め頂き恐縮です、また次回の『景清』に向けて稽古を積んで挑みます。
応援のほど、よろしくお願い申し上げます。
てしまいます。
・演出に対する新しい工夫、そして、演技に対する並々ならぬ思い
入れが感じられ、見応えがありました。
・愛息を失った王伯の悲しみ、権力でもどうしようもない天鼓の『芸術』の崇高さ、貴重さを舞で表現するなどすっかり魅入られま した。
・デジブックの音楽、小生も似合わないように思います。
笛や鼓の音などの方が良いのでは。
すみません、いろいろ『てんこ盛り』に思いつくまま書いてしまいました。本当にお疲れ様でした。
デジブックの音楽と画面、不評でしたので
いつもの波模様で、音楽も替えました。
ご意見お待ちしております。
明生師の演能レポートが出る前に、観能レポートの拙文の一部です。ご指導を下さい^^。
【
何度もご覧になっています人気曲ですが、新たな感動と劇性を演出するために、温故知新のエネルギーを導き、そして噴き出すには、流儀を越えてたゆまぬ原曲との葛藤が要求されます。勝つも負けるも、全力投球で納得しうる「一期一会」の舞台なのです。事前講義を受けた50名弱の人も見所にお出での筈ですが、如何様な答えを得たのでしょうか・・。いわゆる伝統芸能の中で現在に生きる大切なことは、単なる復習ではなく、どのように新たな曲作りに加わっているかの鬩ぎわでしょうか。
今回の「天鼓」に関しましては、ブログを通じて多くの発信がありましたので、それなりの準備を致していた筈だと心得ました。
が、良い意味でアリャア^^!という場面がありましたので、お土産を戴いたようで嬉々と思ってしまいました^^。
私の解釈の間違い?かもしれませんが、見どころをメールでお伝えしておきました以上に、隠し玉を秘かに?準備されておりました!
それは、中入り前のシーンです。
喜多流謡本では、
地謡「老の歩も足弱く薄氷を踏む如くにて。心も危うき此の鼓。
(勅にて鳴ることのなかった鼓が、血のつながった父親と雖も、本当に鳴る のか?の疑心暗鬼の中での、儘よ!)
打てば不思議や其の声の。心耳澄ます声づる。
(鼓の音と言うよりは、天鼓少年から父親への懐かしい挨拶の声『パーパ(爸爸)!』
・・・御涙を浮かべ給ふべきぞ有難き。」
ワキ「親子の證にて鼓の鳴る事。・・老人夫婦には数の宝を與えらるべきなり。まずまず私宅に帰り候へ。」
シテ「あら有難きやさらば罷り帰り候はん。」
ワキ「いかに誰かある。老人を私宅へ送り候へ。」
アイ「御前に候ふ」
となっていますが・・。多分この流れは不自然!
ワキ「いかに誰かある。老人を私宅へ送り候へ」
アイ「御前に候ふ」
と本舞台にあがり、老人の後身を暖かく支え上げて立たせ、送り出す。
シテは、「あら有難きやさらば罷り帰り候はん」と、重圧から解放された安堵と帝を見返した天鼓少年の本懐に嬉々として、老人にしては橋掛を駆るように幕入りする演出があったのです!
「天鼓」を初めてご覧になった方は、ごく当たり前に、何度かご覧の方は「謡本と違う?」との思いでしょうか!「して、やったり」の師の悪戯顔が浮かんできます^^。
喜多流では、作り物の「鞨鼓」を目付柱辺り置き、加えて一畳台を脇正側に寄り置きます。他流からは、「いいなぁ^^」と羨ましがられるものの、本当は「楽」の舞には邪魔!だそうです。が、その邪魔物を使えこなしての物種なのです。漏水(呂水)に見たてて幕前までの橋掛を上手く使い、「楽」を盤渉式に乗せ、天鼓少年の喜びを高めました。
終曲の地謡「五更の一点鐘もなり。鳥は八声の仄々と。・・又打寄りて現か夢か。又打寄りて現か夢幻とこそなれにけり」と謡われますが、シテは、一畳台に右足を乗せ、幕入り前に一廻りにして、終わりました。】