昨日の投稿の続きである。
「あいきょう」には「愛嬌」と「愛敬」がある。

世阿弥の風姿花伝には
「この芸とは、衆人愛敬(しょにんあいぎょう)をもて、一座建立の寿福とせり」
(訳・猿楽の芸は、民衆に愛され、一座の繁栄を築くための礎とする)と、「嬌」ではなく「敬」の字で書かれている。

この「衆人」について世阿弥は
「貴所、山寺、田舎、遠国、諸社の祭礼にいたるまで、おしなべて譏りを得ざらんを、寿福達人のシテとは申すべきや。」
(訳・貴族の前、山寺でも、田舎も遠国でも、神社のお祭りの時でも喝采をうけるような演者となり、一座を盛り上げる能の達人になるといい)

と、鑑賞対象者を貴人から大衆までの広範囲としている。
が、実はこれは建前で本音は違う。心の底には、将軍や貴族や武家など文化的教養のある都の貴人に向けての演能を心がけるべきである、と思っていたはず。

ではなぜ「衆人」の言葉を使い一般民衆までと枠を広げたのか?
それは、将軍足利義教から迫害され、ライバル音阿弥にも追いやられ田舎のどさ回りなどを余儀なくされた状況から、あらゆる人々に愛される芸をこころがける、と書かざるを得ない心境だったのではないだろうか・・・。

それは苦し紛れの自己弁護でもあり、負け惜しみ、そのように読み込める、と私は思う。

その真相がわかり、より深く世阿弥を知ることが出来る本があるのでご紹介する。

「世阿弥・日本人のこころの言葉・世阿弥 西野春雄・伊海孝行充著、創元社¥1,200+税」
能に、世阿弥にご興味のある方は是非読んでいただきたい。


文責 粟谷明生


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