以前 日経新聞の「こころの玉手箱」能楽師・友枝昭世の第三話で「喜多実先生の大島紬」の話が記載されたことがある。
我が師、友枝昭世氏は先代喜多実先生がお召しになっておられた鼠色の大島紬をお持ちである。
その大島紬は実先生が亡くなられた後、父が形見として賜った。
父が、たまにこの大島紬を着ていたのを覚えている。
そして父が亡くなったとき、この大島紬をどうするか?
と、母と相談し
「これは友枝師に差し上げるのが、一番!」
と二人で決めて差し上げた。
その後、いつ着て下さるのかと、思っていたが・・・・
日経に記事に
「一回も袖を通すことが出来ずにいるのは、着るのがまだ早い、と思っているから・・・
中略
和服は大切に手入れをすれば代々着ることが出来る。それは亡くなった方々を折にふれ
思い出し、その心を受け継ぐことでもあろう、もう着てもいいよ、という声を待っている」
という訳だった。
今回、その大島紬を着られている友枝昭世氏の写真が、ダイナースの機関誌「SIGNATURE」6月号に記載されている。
この大島紬って~
能面同様、付ける人によって、違って見える。
友枝師が着られると、実先生とも、父とも違う雰囲気を醸し出して不思議だ。
正直に言おう、
私は、友枝師が一番お似合いかな、と思っている。
この夏、8月23日(日)はダイナース能があり、友枝昭世師は「葵上」を勤める。
この日、我が倅は、未熟ながら、友枝師から依頼されて楽屋働きのお手伝いをすることになった。
今年から自主公演の楽屋働きはしているが、
「いついつ、空いている? 手伝ってくれるか?」と声を掛けられるのは、はじめてだ。
私も昔を思い出すと、なんでもはじめての依頼は印象が深い。
きっと倅も23日が思い出の日となるだろう。
と、親ばかっぽいことを想像させてくれる一枚の写真です。
我が師、友枝昭世氏は先代喜多実先生がお召しになっておられた鼠色の大島紬をお持ちである。
その大島紬は実先生が亡くなられた後、父が形見として賜った。
父が、たまにこの大島紬を着ていたのを覚えている。
そして父が亡くなったとき、この大島紬をどうするか?
と、母と相談し
「これは友枝師に差し上げるのが、一番!」
と二人で決めて差し上げた。
その後、いつ着て下さるのかと、思っていたが・・・・
日経に記事に
「一回も袖を通すことが出来ずにいるのは、着るのがまだ早い、と思っているから・・・
中略
和服は大切に手入れをすれば代々着ることが出来る。それは亡くなった方々を折にふれ
思い出し、その心を受け継ぐことでもあろう、もう着てもいいよ、という声を待っている」
という訳だった。
今回、その大島紬を着られている友枝昭世氏の写真が、ダイナースの機関誌「SIGNATURE」6月号に記載されている。
この大島紬って~
能面同様、付ける人によって、違って見える。
友枝師が着られると、実先生とも、父とも違う雰囲気を醸し出して不思議だ。
正直に言おう、
私は、友枝師が一番お似合いかな、と思っている。
この夏、8月23日(日)はダイナース能があり、友枝昭世師は「葵上」を勤める。
この日、我が倅は、未熟ながら、友枝師から依頼されて楽屋働きのお手伝いをすることになった。
今年から自主公演の楽屋働きはしているが、
「いついつ、空いている? 手伝ってくれるか?」と声を掛けられるのは、はじめてだ。
私も昔を思い出すと、なんでもはじめての依頼は印象が深い。
きっと倅も23日が思い出の日となるだろう。
と、親ばかっぽいことを想像させてくれる一枚の写真です。