先日の稽古のこと。お集まりの中からお一人だけが謡の稽古をされた。稽古時の録音は許可しているので生徒さんは私の謡を録音している。それなのに周りではそれを聞くでもなく、ガヤガヤとお喋りに花が咲き出した。睨みつけるのだが、一向に止めようとしないから、わざと声を小さくし、気が付いてくれるだろうと思って謡ったが当てが外れた。

次第にお喋りの声は大きくなるばかり。こりゃいけない、レコーダーに余計な声ばかりが入ってしまう。今度はお喋り軍団の声をかき消すほどの大きな声を張り上げて謡う。すると、向こうもまたもっと大きな声でしゃべり出して・・・、終に、声を荒げて怒ってしまった。

イソップの「北風と太陽」の物語が、頭に浮かんだ。旅人のコートを早く脱がした方が勝ちというあのお話。

昔、こどもに、「北風さんはお馬鹿さんだね。太陽さんのやり方でなくてはだめだよな」と読んであげたことを思い出したが、私は完全に北風さんになっていた。

マンツーマンの個人稽古にはないが、集団稽古では稽古中のお弟子様同士の会話、お喋りは指導者としては気になる邪魔な行為だ。昔、授業中に平気で隣同士で話をしていて怒られた私があまり偉そうなことは言えないのだが、能の世界で物を習う立場として大切な心構えは、他人がお稽古を受けている時は、その謡を静かに聞き、舞の型を見る、注意が飛んだところは、自分に照らし、人の習っている分まで自分の物として吸収する、これは習道の基本とも言える。

正直に白状すると、学校ではお喋りで注意された私も、能の稽古場では若い時から教えを守って来た。それが当たり前で、当然のことと今も思っている。稽古に遅れて到着したら、挨拶は目で行い、口は開けないのが基本。「よいお天気ですね。実は電車が人身事故で遅れて・・・」などと話し出すのは以ての外である。

もちろん稽古をしていないときは気軽に挨拶もし、世間話や能楽界の話題に花を咲かせ談笑するのもよい。しかし、稽古が始まったら習道モードにスイッチをオンにしなければいけない。スイッチのオンとオフ、簡単なようでなかなかむずかしい。しかし大事な胆のように思える。


文責 粟谷明生


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