菊生 親父は質素な暮らしを旨として、入って来る金は装束や面の購入につぎ込んだ。
「金のことは言うな。
今にいいことがありますよ」
というのが親父の口癖だったよ。
昔、地方公演で『鬼界島』があって、
どういうわけか「俊寛」の面がなくて……。
明生 どうしたの?
菊生 急遽「小面」があったから~~
「小面」の上から花帽子を被せて~~、
もう目と鼻しか見えないぐらいすっぽり覆せてね~(笑い)
シテは誰だったかな~~?
明生 シテは気の毒だね、まだ直面でやったほうがよかったんじゃないの?
菊生 確かに。でも当日の解説に「能は仮面劇です、面をつけます!」
とあったんだよ~~。
もう苦肉の策だったね。
明生 へぇー。では『木賊』の話を聞かせてよ。
菊生 親父の『木賊』はもう目が見えない時で、
何度も舞台から落ちそうになったんだ。
お囃子は大鼓が高安道喜、小鼓が中野営三、笛は嶋田巳久馬。
嶋田氏は元は喜多流だったんだよ。
当日、六平太先生が「今日はこれだけ!」
と仰って笛を吹く恰好をなさる。
嶋田巳久馬という人はいつも塩昧(さし指のあつかい)を利かせて吹くのに、その日は全く差し指なしで吹いたんだ。
嶋田さんは武田信玄みたいな風貌だったよ。
子どもの頃、能が終わって地謡で立って帰ろうとしたら
「小僧!俺が立つまで立つな!」
と怒鳴ったおそろしい人よ。
でもこの人に『江口』を謡ったときに
「いい謡、うたうじゃないか」と言われたんだ。
こりゃ忘れられないよ。
プロはプロに褒めてもらうのが一番よ。
つづく