能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
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能『桜川』を演じる前に その1

2018-05-23 07:22:38 | 能はこうなの、と明生風に能の紹介
能は昔は猿楽と呼ばれていた。
猿楽はどのように作られたのだろうか?

猿楽師の観阿弥や世阿弥、金春禅竹や十郎元雅や小次郎信光など、能を創りあげた人たちは、それぞれの思いを当時の聴衆のニーズに応えて猿楽作りをしたのだろう。

そして権力者や宗教界からの作品依頼も当然あっただろう。

5/27(日)喜多流自主公演で、能『桜川』を勤めるが超簡単に物語をご紹介すると

「人買人に身を売った愛児(桜子)の行方を探し求める桜子の母は、故郷日向国 桜の馬場から常陸国 桜川のほとりまで尋ね歩き、春の桜満開のもと、遂に再会する」
と、ざっくり過ぎるので、詳細は添付資料をご覧いただきたい。



さて、親子再会する常陸の国、磯部には磯部稲村神社があり木華咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀っている。桜子が身を寄せた磯部寺はその神宮寺であり、境内には桜が植えられ桜の名所であった。

神社の文書によると、
五十戸(いそべ)神主祐行が鎌倉に上がった時、関東官領、足利持氏に桜児物語の一部を献じたところ、持氏はこの物語を世阿弥に命じて謡曲に作らせた、とある。

つまり世阿弥は、桜子と母の再会、春の桜川と磯部寺、木華咲耶姫信仰など、それぞれのキーワードを結びつけて、春の狂女物を作らなくてはいけない状況に立たされた、と考えてよさそうだ。

能『桜川』の稽古をしていて、どうも曖昧で大雑把な物語展開が気になって仕方がなかったが、今作品の出来る経緯がわかると、世阿弥の苦心が判るような気がしてきた。

すると、あまり些細なことにこだわらず、春の狂女の芸の面白さを演じれば、それでよいのだ!と言う境地にちょっと達しつつある。

皆様のご来場をお待ちしております。





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