昨日は粟谷能の会の申合で、その後は装束出しとなり、写真の着附を着ることにしました。
今回の『安宅』は「延年之舞」の小書付きですが、実は「滝流之掛」という新しい演出を加えて舞います。
この伝書は土佐堀池家の型附です。
故・後藤得三先生が書き写され我が家に保管されています。
下記のように記されていますのでご紹介します。
@@『安宅』瀧流のかかり@@
「落ちて巌に響くこそ」と下を巻差しヒラキ。
「鳴るは滝の水」と小鼓頭にて流し打、
この時、右の方へ下を見回しながら廻り
大鼓前にて直ぐに右へサシ、破掛り男舞。
この時は脇へ酌無し、「鳴るは滝の水」も一遍也。
今回は『安宅』のお囃子方(笛・松田弘之さん、小鼓・鵜澤洋太郎さん、大鼓・柿原弘和さん)のご協力を得て、皆様と相談して再現することになりました。
演能後、皆様からのご感想を伺いたいと思っておりますが、明日はどうしても行けないので・・・・という方々には、どのようになるか、こっそり(ネットでこっそりは?変ですが・・・)とご紹介します。
「響くこそ」で笛がヒシギを吹き、その後、小鼓の乙流しとなり「鳴るは瀧の水」とシテ謡いとなり途中から、大鼓のかけ声が入り、男舞となります。小鼓は掛すべてを流しのままにて打ちます。
これは、もちろん流儀では初の試みです。
私のこの試みには賛否両論あると思います。
私を応援して下さる方にも、
「俗に九度思ふて一度言ふ、深い考察を究め尽くしてから手を付けるべき、習事(習慣)は先賢の思慮の集まったもの、中には怪しい所もあるが、これをいぢるのは中々のこと、物事には熟成期間が必要、地味な小口の所から手をつけるのは、いかがなものか・・・・」とお手紙でご注意も受けています。
これは有り難いご忠告と受け止めています。
ただ、私は自分の生き方を貫きたいとも考えて、少々悩みましたが今回はこの演出をしたいと思い踏み切りました。
私は今年で54歳、親友を失い、父に逝かれて、死は私にとって遠いものから、近いものだと変わったことです。
人の死や身体の異変というものはある日、突然にやって来ることを知りました。
あと何年生きられるかなあ?と父がこぼしていた高齢者の言葉の重みと、50歳代半ばの私の言葉ではその重みも違い、54歳なんてまだまだ青いと言われればそれまでですが、己の生き様を考えると言葉の重みは二の次になることもあるように思われます。
そのうち成長してから、熟成してとの考え方に真っ向から異論を唱えるわけではないのですが、それを心の支えとして生きて行くには、少々物足りない力不足のように私には思えるのです。
ある先輩からの言葉が能役者・粟谷明生に活力を与えて下さいました。
それは「出来るときに最善を尽くす、判断と結果は後の世の人に任せればよい」でした。
「思い立ったが吉日、直ぐに実行、能に向かって消極的な者は所詮消極的な能、そんな生き方しかできないよ」と言葉は続きました。
習い事は先賢の思慮、確かにそれをいじるのは大それたことでしょうが、善いものを創ろう、善い物に変えようとする心が能役者から無くなっては、伝統芸能という言葉の上に胡座をかく怠慢至極の輩!と注意をうけても返えす言葉もないと思うのです。
今の時期、自己に貯めておく熟成期間が必要かもしれません。
が、しかしせめて小口のところからでも手を付け、爪を立てて生きたい、と思うのです。
将来、喜多流も新宗家が誕生するかもしれません。
しかし、その時熟成したものが発揮されるかどうかはあやふやです。
今だから、現在の喜多流だからこそ出来るという状況にある者が、それを使命だと思い、楽しみ能楽人生を全うしてよいのではないか、そう思って明日の弁慶になるつもりです。
皆様の応援とご来場をお待ちしております。
真面目な、つまらない事を投稿して反省しているのですが、ここまで書いたので投稿しちゃいます。
今回の『安宅』は「延年之舞」の小書付きですが、実は「滝流之掛」という新しい演出を加えて舞います。
この伝書は土佐堀池家の型附です。
故・後藤得三先生が書き写され我が家に保管されています。
下記のように記されていますのでご紹介します。
@@『安宅』瀧流のかかり@@
「落ちて巌に響くこそ」と下を巻差しヒラキ。
「鳴るは滝の水」と小鼓頭にて流し打、
この時、右の方へ下を見回しながら廻り
大鼓前にて直ぐに右へサシ、破掛り男舞。
この時は脇へ酌無し、「鳴るは滝の水」も一遍也。
今回は『安宅』のお囃子方(笛・松田弘之さん、小鼓・鵜澤洋太郎さん、大鼓・柿原弘和さん)のご協力を得て、皆様と相談して再現することになりました。
演能後、皆様からのご感想を伺いたいと思っておりますが、明日はどうしても行けないので・・・・という方々には、どのようになるか、こっそり(ネットでこっそりは?変ですが・・・)とご紹介します。
「響くこそ」で笛がヒシギを吹き、その後、小鼓の乙流しとなり「鳴るは瀧の水」とシテ謡いとなり途中から、大鼓のかけ声が入り、男舞となります。小鼓は掛すべてを流しのままにて打ちます。
これは、もちろん流儀では初の試みです。
私のこの試みには賛否両論あると思います。
私を応援して下さる方にも、
「俗に九度思ふて一度言ふ、深い考察を究め尽くしてから手を付けるべき、習事(習慣)は先賢の思慮の集まったもの、中には怪しい所もあるが、これをいぢるのは中々のこと、物事には熟成期間が必要、地味な小口の所から手をつけるのは、いかがなものか・・・・」とお手紙でご注意も受けています。
これは有り難いご忠告と受け止めています。
ただ、私は自分の生き方を貫きたいとも考えて、少々悩みましたが今回はこの演出をしたいと思い踏み切りました。
私は今年で54歳、親友を失い、父に逝かれて、死は私にとって遠いものから、近いものだと変わったことです。
人の死や身体の異変というものはある日、突然にやって来ることを知りました。
あと何年生きられるかなあ?と父がこぼしていた高齢者の言葉の重みと、50歳代半ばの私の言葉ではその重みも違い、54歳なんてまだまだ青いと言われればそれまでですが、己の生き様を考えると言葉の重みは二の次になることもあるように思われます。
そのうち成長してから、熟成してとの考え方に真っ向から異論を唱えるわけではないのですが、それを心の支えとして生きて行くには、少々物足りない力不足のように私には思えるのです。
ある先輩からの言葉が能役者・粟谷明生に活力を与えて下さいました。
それは「出来るときに最善を尽くす、判断と結果は後の世の人に任せればよい」でした。
「思い立ったが吉日、直ぐに実行、能に向かって消極的な者は所詮消極的な能、そんな生き方しかできないよ」と言葉は続きました。
習い事は先賢の思慮、確かにそれをいじるのは大それたことでしょうが、善いものを創ろう、善い物に変えようとする心が能役者から無くなっては、伝統芸能という言葉の上に胡座をかく怠慢至極の輩!と注意をうけても返えす言葉もないと思うのです。
今の時期、自己に貯めておく熟成期間が必要かもしれません。
が、しかしせめて小口のところからでも手を付け、爪を立てて生きたい、と思うのです。
将来、喜多流も新宗家が誕生するかもしれません。
しかし、その時熟成したものが発揮されるかどうかはあやふやです。
今だから、現在の喜多流だからこそ出来るという状況にある者が、それを使命だと思い、楽しみ能楽人生を全うしてよいのではないか、そう思って明日の弁慶になるつもりです。
皆様の応援とご来場をお待ちしております。
真面目な、つまらない事を投稿して反省しているのですが、ここまで書いたので投稿しちゃいます。
コメント有難うございます。
体調万全です、頑張ります!
ご来場お待ちしております。