喜多流自主公演(11月24日(日)12時より、於・喜多能楽堂)で能『錦木』を勤めますが、この曲目、予習なしではなかなか理解するのがむずかしいようです。そこで演者自身が曲のあらすじ、見どころなどをご紹介したく連続で投稿いたします。ご来場いただけるお客様には、是非事前にお読みいただき鑑賞していただければお役に立つのでは、と思います。では、どうぞ
所は陸奥、今の秋田県のお話だ。
昔、政子という機織りの上手な娘がいて、農家の若者が娘を見初めてしまった。当地の習わしによって毎夜、錦木の束を政子の家の前に運んで思いを訴えたが、999日目に病死してしまった。それを知った政子もあとを追うように死んでしまう。娘の父親は哀れに思い二人の亡骸と錦木を埋め、錦木塚として手厚く葬った。
JR花輪線十和田南駅より徒歩3分、秋田県鹿角市錦木浜田91-1には「錦木塚」があり、謡曲史跡保存会の写真集に記載されている。この悲恋物語を脚色したのが能『錦木』で、あらすじはこうだ。
旅僧(ワキ)が錦木を持った男(前シテ)と細布(前ツレ)を持つ女と出会う。男は僧に錦木の風習を語り、女が取り入れないので三年までも立て続けたことを語り、男の祀られている錦塚に僧を案内して女と共に消える。(中入り)
読経する僧の前に、男(後シテ)と女(後ツレ)の亡霊が現れ救いを求める。男は三年も錦木を立て続けたが恋が実らなかった怨みをとくとくと述べるが、僧の読経により、今宵一夜、女と盃を交わすことが出来た。男は喜びの舞を舞うが、夜明けと共に僧の夢は醒め、幻の男女はまた幽冥へと消え失せる。
『錦木』は世阿弥作で作品としては内容が濃く興味深く面白いが、一方派手さに欠けるところがあり、残念ながら万人受けするものでない。そのためか、頻繁に演じられることはなく、いわばシテ方の技芸評価の登龍門的な扱いが楽屋内にあることは確かである。男女の恋物語をどの程度表現出来るのかが図られる曲、そのように私には思えてならない。
シテは『船橋』同様、前場は直面の里男として登場する。その風貌、容貌は観る側の曲に対する想像とイメージが重なればよいが、なかなか演者と作品が似合うのはむずかしい。つまり演者としての演能適齢期が広くないのだ。背中が丸い、頭髪がない、足どりも不安な高齢者はもっとも不似合いであり、またどんなにイケメンの若者であっても、男の遂げられぬ恋を果たして演じられるだろうか、それには時間が足りないだろう。
正直、私には今まで感銘を受けた『錦木』はない。よい役者がいないというのではなく、それほどまでに適齢が問題となる厄介な深い曲だと思う。今58歳、稽古しながら、少し遅いようにも、まだまだ本当の男心が判らない私には早いのかもと思いつつ、しかしながら『錦木』と正々堂々と向き合っているところなのである。
つづく
写真提供 宮下美奈子
文責 粟谷明生
所は陸奥、今の秋田県のお話だ。
昔、政子という機織りの上手な娘がいて、農家の若者が娘を見初めてしまった。当地の習わしによって毎夜、錦木の束を政子の家の前に運んで思いを訴えたが、999日目に病死してしまった。それを知った政子もあとを追うように死んでしまう。娘の父親は哀れに思い二人の亡骸と錦木を埋め、錦木塚として手厚く葬った。
JR花輪線十和田南駅より徒歩3分、秋田県鹿角市錦木浜田91-1には「錦木塚」があり、謡曲史跡保存会の写真集に記載されている。この悲恋物語を脚色したのが能『錦木』で、あらすじはこうだ。
旅僧(ワキ)が錦木を持った男(前シテ)と細布(前ツレ)を持つ女と出会う。男は僧に錦木の風習を語り、女が取り入れないので三年までも立て続けたことを語り、男の祀られている錦塚に僧を案内して女と共に消える。(中入り)
読経する僧の前に、男(後シテ)と女(後ツレ)の亡霊が現れ救いを求める。男は三年も錦木を立て続けたが恋が実らなかった怨みをとくとくと述べるが、僧の読経により、今宵一夜、女と盃を交わすことが出来た。男は喜びの舞を舞うが、夜明けと共に僧の夢は醒め、幻の男女はまた幽冥へと消え失せる。
『錦木』は世阿弥作で作品としては内容が濃く興味深く面白いが、一方派手さに欠けるところがあり、残念ながら万人受けするものでない。そのためか、頻繁に演じられることはなく、いわばシテ方の技芸評価の登龍門的な扱いが楽屋内にあることは確かである。男女の恋物語をどの程度表現出来るのかが図られる曲、そのように私には思えてならない。
シテは『船橋』同様、前場は直面の里男として登場する。その風貌、容貌は観る側の曲に対する想像とイメージが重なればよいが、なかなか演者と作品が似合うのはむずかしい。つまり演者としての演能適齢期が広くないのだ。背中が丸い、頭髪がない、足どりも不安な高齢者はもっとも不似合いであり、またどんなにイケメンの若者であっても、男の遂げられぬ恋を果たして演じられるだろうか、それには時間が足りないだろう。
正直、私には今まで感銘を受けた『錦木』はない。よい役者がいないというのではなく、それほどまでに適齢が問題となる厄介な深い曲だと思う。今58歳、稽古しながら、少し遅いようにも、まだまだ本当の男心が判らない私には早いのかもと思いつつ、しかしながら『錦木』と正々堂々と向き合っているところなのである。
つづく
写真提供 宮下美奈子
文責 粟谷明生