小鰭(こはだ)の小さいサイズを「新子(しんこ)」と言う。
毎年七月初旬あたりから、寿司ネタとして出回るが、とにかくこれが大の大好物だ。
これが口に入ると本格的な夏を迎え、寿司ネタの品数が減って、寿司好きの私としてはあまり歓迎しない時節となる。と言っても、最近は昔と変わり、一年中、いろいろな物が食べられるようになったが、新子だけは違う。七月から八月の短い時期にしか味わえない。
食べ物も、いやなんでもそうだろう。新鮮な物とそうでない物がある。
「なんでも新鮮な物の方がいいに決まっている!」
なんて宣う人は、まだまだ青い。
新鮮な物が悪いと言うのではない。時間を経て熟して行く、熟す寸前、これが頂点である。
また寿司ネタの話だが、ものによっては寝かした方が旨いものもある、とは寿司屋の主人の弁。
「粟谷さん、簡単に言いますとね、寝かしは大きい魚、鮪や鮃、鰈など、寝かさない方がいいのが、鯵、烏賊ね、貝類はすべてですよ」
と、なるほど。
食べ物の鮮度と私たちの芸、この二つに共通するものがある。若くてぴちぴちした元気な人の舞台も新鮮でいいが、大人のどっしりと落ち着きのある、油の乗りきった舞台もまたいい。どちらを好むかは、ご自由だ。
昔、若かりし時には
「老いて足腰が弱った芸など認めない。舞台でぐらつかなく溌剌とした芸こそが本物。まあ中年までが食べごろ!」
などと好き勝手を言っていたが、今はお歳を召してもお元気で溌剌として活躍されている方もいらっしゃるので、もう年齢のことは言わない。かく言う私も寝かしの境地に入りつつある。
「果物とおんなは腐り始めが旨い」
すこぶる下品な言い回し、世の女性の皆様お許し下さい。
「熟す」大切さを言いたいだけなのだ。
「円熟」
これなら下品にならないだろう。たいして変わらないか?
あ、寿司屋が付け足していた。
「寝かし過ぎ、腐らせては、おしめえよ」
写真 恵比寿の蕎麦屋「昇月庵」にて撮影 新子刺身 ¥900
毎年七月初旬あたりから、寿司ネタとして出回るが、とにかくこれが大の大好物だ。
これが口に入ると本格的な夏を迎え、寿司ネタの品数が減って、寿司好きの私としてはあまり歓迎しない時節となる。と言っても、最近は昔と変わり、一年中、いろいろな物が食べられるようになったが、新子だけは違う。七月から八月の短い時期にしか味わえない。
食べ物も、いやなんでもそうだろう。新鮮な物とそうでない物がある。
「なんでも新鮮な物の方がいいに決まっている!」
なんて宣う人は、まだまだ青い。
新鮮な物が悪いと言うのではない。時間を経て熟して行く、熟す寸前、これが頂点である。
また寿司ネタの話だが、ものによっては寝かした方が旨いものもある、とは寿司屋の主人の弁。
「粟谷さん、簡単に言いますとね、寝かしは大きい魚、鮪や鮃、鰈など、寝かさない方がいいのが、鯵、烏賊ね、貝類はすべてですよ」
と、なるほど。
食べ物の鮮度と私たちの芸、この二つに共通するものがある。若くてぴちぴちした元気な人の舞台も新鮮でいいが、大人のどっしりと落ち着きのある、油の乗りきった舞台もまたいい。どちらを好むかは、ご自由だ。
昔、若かりし時には
「老いて足腰が弱った芸など認めない。舞台でぐらつかなく溌剌とした芸こそが本物。まあ中年までが食べごろ!」
などと好き勝手を言っていたが、今はお歳を召してもお元気で溌剌として活躍されている方もいらっしゃるので、もう年齢のことは言わない。かく言う私も寝かしの境地に入りつつある。
「果物とおんなは腐り始めが旨い」
すこぶる下品な言い回し、世の女性の皆様お許し下さい。
「熟す」大切さを言いたいだけなのだ。
「円熟」
これなら下品にならないだろう。たいして変わらないか?
あ、寿司屋が付け足していた。
「寝かし過ぎ、腐らせては、おしめえよ」
写真 恵比寿の蕎麦屋「昇月庵」にて撮影 新子刺身 ¥900