本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

竹島のこと

2018-12-26 09:03:30 | Weblog
 韓国では軍が竹島の周辺海域で防衛訓練を実施した。また、韓国の与野党の国会議員団8の何人か竹島に上陸した。日本に対する嫌がらせの極みである。

 日清戦争で日本は清国に勝利し、1895年清と下関条約を結んだ。そのひとつに日本は清の属国であった朝鮮を独立させた(独立後大韓帝国と称した)。繰り返すが日本が朝鮮を清から解放させたということ。

 日本が竹島を国の領土に決めたのは1905年である。これは韓国独立の10年後であり、韓国併合(1910年)の5年前である。つまり、独立した韓国からクレームがあったわけでも併合に際して強奪したわけでもないということ。
 
 それからほぼ50年後に、韓国は、1952年に李承晩大統領が公海上に「李承晩ライン」を設けて竹島を取り込んだ。そのとき、日本は太平洋戦争の敗戦で、言わば「貧して鈍していた」うえ軍備力もない。そこに乗じられたのだ。
 
 さて、次は天保7年(1836年)のある儒学者の日記から抜粋したものだ。
 「石州の澳(おき)ニ、竹島トイエル地アリ。朝鮮ニ近シ。其地ニ刀剣類ヲ持行、韓人ト八幡ス事覚、家老二名切腹。公儀ノ吟味甚厳ナリ。切腹ニテハ不済、必削地ナルベシト申事ナリ」

 この史料の説明は続きとする。

いきな話

2018-12-25 09:10:51 | Weblog
立川志の輔の落語のまくらに「姐さん、いきだねぇ」、「わたしゃ、帰りただよ」という笑話があった。
 「いき(粋)」は、江戸時代に完成された言葉とか。

日本語大辞典によると「①気持ちや身なりに色気があり、あかぬけていること。②男女の情事に関すること。③人情に通じて、ものわかりのよいこと。」とある。
 
 「いき」には多様な意味があることがわかった。冒頭の笑話の「いき」は①の意味を姐さんが「行き」とはき違えたということだ。ただ、花街の女性なら「粋」にピンときますけどね。この①の反対が「野暮」

 「あのふたり、いきなうわさがある」と言えば②の情事を意味するのですな。
 「いきなはからい」で一件落着となれば③の例文になる。

 九鬼周造の『いきの構造』では諦め、意気地、媚態とある。さすが哲学者の「いき」はわかりにくい。

ブスか美人か

2018-12-24 09:04:16 | Weblog
 ものの本に、白河藩主松平定信の逸話があった。
 御年28歳ごろになっても奥方がいなかった。そこで、近習がせめて側室でと勧めると、「形醜くして縁遠き女を…」といったそうだ。つまり、ブスを側室に迎えたということ。
 これで家中の不美人でも嫁すことができたとか。
 この話は本当かどうかわからない。とはいえ、さすが寛政の改革の老中松平様だけのことはあるということか。

 以前にも書いたが、ある公益団体の理事長秘書を採用することになった。候補者は二人いて、どちらを採用すべきか理事長にお伺いを立てた。
 「君はどちらがよいと思うか」と理事長が人事担当部長に訊いた。「こちらの女性が美人ですから」と部長は答えると「その娘さんはどこでも採用されるだろうから」と言って、もうひとりの女性を採用しなさいとなった。

 この話は採用された当の本人から聞いたので間違いない。そうは言うが、その女性もなかなかの美人である。今は孫がいるおばあさんだが。
 前段の話と通底するのではないか。

知足

2018-12-23 09:18:17 | Weblog
 日産のゴーン前会長が再逮捕のニュースが流れた。

 神沢社口(かんざわとこう)の『翁草』に「知足は不足の中にあり、満足の人はなおその上をむさぼり、故に知足を知らず」とある。(所どころ漢字をひらがなにした)
 足りない人こそ足りることを知るのだが、足りることを満たされている人はさらにその上をがっつく。なぜなら足りるということを知らないからだ。
 意訳だが、趣旨からはずれていないだろう。

 ゴーンさんの欲の深さに唖然とする。足るを知らないのだ。その上会社のものは自分のものと思っているようだから充足に際限がなかった。
 こちらは足りないことが多いので「知足」と負け惜しみを言うわけだ。

 それにしても、経営手腕とカリスマ性のある人物が塀の上にいると、国際的に落ちないようにすることに寛容になるのですね。

IWC脱退か

2018-12-22 09:05:15 | Weblog
 日本はIWC(国際捕鯨委員会)を脱退する意向とか。
 このIWC総会では常に反捕鯨国に反対されて提案を阻まれている。それなのに分担拠出金は加盟国中最も多く負担しているとか。踏んだり蹴ったりではないか。
 「カネは出せ、口は出すな」では脱退もやむを得ない。

 渋谷にくじらを食材とする専門の店があったが、一度も入ったことはない。また、首都圏のスーパーでくじら肉を見たことはない。置いていれば気がつかないわけはない。
 大都会に住む家庭では、クジラを食べる嗜好はないだろう。東京に永く住んでいたせいか、私もクジラ肉を喰おうと思わないのだ。

 ところが、この地方のスーパーではくじら肉を売っている。主に「塩くじら」らしい。この地は海から遠い深い内陸部である。交通の不便な時代までは魚介類はなかなか口にできなかったようだ。その中で塩くじらは比較的入荷されたそうだ。魚ではないけれど。
 その郷愁からか、今でも買うひとがいるから仕入れているのだろう。でも、捕鯨が禁止になっても騒ぐことはないだろう。

 ネットの情報によると、捕鯨対象のミンク鯨やマッコウ鯨は増えすぎているという。そのため他の種の鯨の量は増えないようだ。
 むしろ私は保護過剰なくじらの「鯨食」により大量に魚が餌食になっているのではないかと心配する。