今朝の夜明け
病院の図書館で「有元利夫」さん装幀の新潮文庫、「錦繍」宮本輝著を見つけた。
「有元利夫」さんは芸大の先輩(日本画、ひょっとすると同学年かもしれない、彼は四浪)で39歳、肝臓がんで没した。安井賞。優しい面影は私の記憶の中にも思い出される。
宮本輝著、「錦繍」に接するのは3度目であった。
一度目は私が銀行関係の輸送警備のアルバイトをしている時、ラジオの朗読で一部聴いたのが出合いです。
少年時代の疎開先(東舞鶴)で出会った美しい少女と結婚後再会し不倫の果てその女性による無理心中に巻き込まれ、生死をさまようが一命をとりとめる。
その後の転落人生の中(十年ほど後)で別れた妻と錦繡の蔵王で再会する場面から始まる。
その後、その別れた妻と手紙によるやり取り・・・・・二人の心の中や生き方に変化が・・・。
二度目は文庫本を買って読んだかもしれないが、早読したのであまり感慨はなかったのですが・・・。
三回目の今回は有元さんの装幀が目についたこともありますが、やはり他人にまで死線を及ぼす心中という不思議な魔力が読ませたのかもしれません。
この本を読んで3,四日間 「死線」というものを考え続けた。
『生きていることと、死んでいることは、もしかしたら同じことかもしれへん、そんな宇宙の不思議なからくりを、モーツアルトの音楽は奏でているのだ・・・』
『モーツアルトはきっと、人間が死んだらどうなるかを、音楽(絵画)によって表現したんですよ。』
上の言葉は別れた妻に喫茶店「モーツアルト」の店主が答えたものですが。
まさに私がこれからやろうとしている絵のテーマそのものだった・・・。
死線とは病気や戦争、また自殺などでは眼前まで下りてくる。
死線の先に生があると闘った人々もいるでしょう。
輪廻という思想もあます。
私も今回避けて通りたかった病気を併発してしまい、いやでも死線、生の先の死を考えざるを得なかった。
考えたくなかったことに向き合い考えた(継続して考えている)ことはとても良い経験であるし試練でもある。
しかしこんなことの結論などそう簡単に出るものではないし、有史以来人間が考えてきたことである。
生きて考え続ける・・・。
南アルプス
退院の日、帰りに女房の車のタイヤをスタッドレスに換えている間にスタンドの近くの「お好み焼き、焼きそば、おでん」というのれんが掛かった店で食事をした。
外からの見た目とは違い中は満員で大盛況、今時珍しい(当地では)店で高齢の方も大きなお好み焼きなど頬張っていた。
私は焼きぞばの美味しいのが食べたかった、肉玉入りを一人前食べた。
夜は寿司の助六と握り少しを寿司屋で買ってきて食べたのですが、昼間の焼きそばといい少し食べ過ぎてしまったようです。
風呂の湯舟に使っている時、長湯したせいか半分意識がなかったかも・・・貧血のようになり、上がって身体を拭くこともできず意識が薄れていくようなありさまでした。
翌日も朝はお粥少しでしたが、昼にうどんを茹でドンブリ一杯分食べたら気持ちが悪くなり、また貧血のようになった。
抗がん剤施行後退院しても2週目はやはりダメージが一番出るときのようです。
元気になろうと無理に食べたのがいけなかったようです。
食べられないときは食べない・・・これが体には良いのかも。