最近の私はオーディオコンポの音を聴いている時間が一日で5~6時間はある。
住宅事情もあり夜間は控えて、なるべく昼間聴くようにしていますが。
アナログのLPレコードに始まって、CDやデジタル音源、最後はBDRで録画したクラシック番組で終わる。
新しく届いたCDプレイヤーのDACの解像度は、BDRで録り貯めた5.1CHの番組もPCMによる再生でも、AVアンプの5.1ch Bitstream より楽器の個々の音色など解像度は良くコンポでの視聴に耐えうるレベルになってきました。
音質レベルも上がったことにより連続で聴いても疲れないというより心地良いレベルになってきています。
音楽の種類もメロディーの綺麗なものの間にシンプルなビートなどの効いたJAZZ系をよく聴きます。
本棚にはCDを2重にしてしまってあり枚数は数えたことはありませんが千枚はあると思う。
そのうち自分で買ったCDは1/3くらいだと思う。
アナログの音もCDに焼き直したり、友人から分けてもらったり、また普及版のCD-Rに移したデジタル音源など。
しかしこれらの自分で作ったりしたものは中級以下のCDプレイヤーでは音質が上がらず、最近ではほとんど聴くことなく放置していたのです。
しかし新しく来たCDプレイヤーで聴いてみると、解像度がよく、購入したCDと遜色のない音色で聴けることが判った。
中でもJAZZ系のCDはJAZZ喫茶を開けるほどの量があり、ほとんど聴いていなかった名盤もあります。
音楽と音楽の間のJAZZ・・・ほっと息が抜ける空間が広がります。
私の若いころはフォーク、ベンチャーズ、ビートルズ に始まり、学生時代は全学連や東大闘争、また新宿フォークゲリラなどに揺れた、熱い世代でした。
私も東大紛争には行きました、しかし一般の大学生などインテリ系は街のいたるところにあったJAZZ喫茶や小さな喫茶店にに潜んでいました。
金もないのに一杯のコーヒーをすすり長時間JAZZ空間にいた記憶があります。
そのころの日本の隠れた文化はJAZZ喫茶だったと思う。
JAZZの浸透度はアメリがより深いのではと思わせます、大学を出て日本各地を放浪した時にも各地でJAZZ喫茶に入った記憶があります。東北、函館、果ては根室でもJAZZ喫茶に入った記憶があります。
私にとってそのころのJAZZは心地よい音楽とは程遠い苦行、修行に近く『ゴリゴリと…鳴らされる』スピーカー音に耐えることが生活の一部だったように思えます。
最近のオーディオ事情により格段に音質が良くなり(特にスピーカーは進歩していると思う)、心地良いビートを伴ったJAZZは癒し音になりつつあります。
その素地は若いころいろいろ聴いていることだと思う、心地よいと思う感覚は若いころに養われ、今はクラシックもJAZZを聴く感覚で聴いている。
よく噛むことをしていますが歯があまり丈夫ではないので先行き少し不安です。
しかし体重は42kg前後で減ることは食い止めていますが、増えることはありません。
田舎でも生活に活気があった気がして。