ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「行方不明」になることを、

2019-06-17 06:31:21 | 日記
日曜日でしたので、何時ものように教会へ。
バスで行こうと思っていたところ、長女が、「雨模様だから」と言って送って
くれましたのでラッキーでした。
帰りの時刻には雨が上がりました。
そこで、ゆっくり 当てのない「ブラリ」を楽しもうと思ったのですが、根が
貧乏性のせいかダメ。
〈ゆっくり〉を、楽しめないのです。
結局、デパートの地下街でパンの軽食をとり、売り出しのチラシの入っていた
スーパーへバスを乗り継いで行くことに。
買い物は やっぱり食料品です。
大根(半分)・長芋・ナス・葉物野菜・麹漬けの素、などを買い求めましたので、
重ーい。

バスを降りて200メートルほど歩きましたら足も腕も痛くなって来ました。
ケイタイで連れ合いにSOSを出しました。
三輪車で慌ててやって来た連れ合いの姿を、〈爺さんになったな〉と、遠くから
眺めました。
大きな荷物を持ったまま立往生している私もまた、そうした連れ合いに相応しい
〈婆さん〉になっていることでしょう。
それはともかく、手ぶらで残りの数百メートルを歩いて我が家へ。
まずは、椅子に掛けて冷たい水を飲みました。

一休みする間に録画して置いた「NHK日曜討論」を観ました。
何もしないで、ぼんやりと・・・・・・を心掛けてはいるのですが。

茨木のり子さんの詩の一篇で一休みです。
一度アップした事のある詩です。

     『行方不明の時間』
                    茨木のり子
     人間には
     行方不明の時間が必要です。
     なぜかはわからないけれど
     そんなふうに囁くものがあるのです

     三十分であれ 一時間であれ
     ポワンと一人
     なにものからも離れて
     うたたねにしろ
     瞑想にしろ
     不埒なことをいたすにしろ

     遠野物語の寒戸の婆のような
     ながい不明は困るけれど
     ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です

     所在 所業 時間帯
     日々アリバイを作るいわれもないのに
     着信音が鳴れば
     ただちに携帯を取る
     道を歩いているときも
     バスや電車の中でさえ
     <すぐに戻れ>や<今 どこに?>に
     答えるために

     遭難のとき助かる率は高いだろうが
     電池が切れていたり圏外であったりすれば
     絶望は更に深まるだろう
     シャツ一枚 打ち振るよりも

     私は家に居てさえ
     ときどき行方不明になる
     ベルが鳴っても出ない
     電話が鳴っても出ない
     今は居ないのです

     目には見えないけれど
     この世のいたる所に
     透明な回転ドアが設置されている
     無気味でもあり 素敵でもある 回転ドア
     うっかり押したり
     あるいは
     不意に吸いこまれたり
     一回転すれば あっという間に
     あの世へとさまよい出る仕掛け
     さすれば
     もはや完全なる行方不明
     残された一つの愉しみでもあって
     その折は
     あらゆる約束ごとも
     すべては
     チャラよ」
                 (茨木のり子詩集 谷川俊太郎選より)

私・ばーばも、たまには「行方不明」になることを宣言しようかと。
コメント
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