ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

《ひとが/ひとでなくなるのは/自分を愛することをやめるときだ。》と。

2019-06-06 06:07:22 | 日記
子が親を、親が子を、そして「拡大自殺」などというコトバも在って、関連のニュースに
接する度に暗い気持ちにおそわれます。
世の中に対して自分ができることなど何ほども無い事などは承知していますが、やっぱり
気にかかります。

「殺」
嫌な言葉です。
見つめていると文字までが嫌いになりそうです。
とにかく今の私にできることは、「ひきこもり」と称される人を持つ家族に対して、
偏見や異端視をしないことが肝要かと。
そんなハナシを知人に話しましたら、
「でもさぁ、もしもよ、あなたの家の隣にそうした家族が住んでいたとしたら、
気の毒にとは思っても、やっぱり気にかかるんじゃない」
と、言われました。
もっともな意見です。
人は、それほど理や知で生きているものではなく感情が先行するものですから。
ただ、心に「持つ」という事は、隣人との関りに置いて大切なことかと。

こうした暗いニュースが報じられる中で、毎日新聞(6月5日)の『余禄』欄に、
吉野弘の詩『奈々子に』のフレーズの一部が載せられていて、《この詩の言葉を
かみしめた一週間だった》
と記されていました。
私の大好きな詩人・吉野弘の詩ですので、この詩を紹介させて頂きます。

     『奈々子に』     吉野 弘

      赤い林檎の頬をして
      眠っている 奈々子。

      お前のお母さんの頬の赤さは
      そっくり
      奈々子の頬にいってしまって
      ひところのお母さんの
      つややかな頬は少し青ざめた
      お父さんにも ちょっと
      酸っぱい思いがふえた。

      唐突だが
      奈々子
      お父さんは お前に多くを期待しないだろう。
      ひとが
      ほかからの期待に応えようとして
      どんなに
      自分を駄目にしてしまうか
      お父さんは はっきり
      知ってしまったから。

      お父さんが
      お前にあげたいものは
      健康と
      自分を愛する心だ。

      ひとが
      ひとでなくなるのは
      自分を愛することをやめるときだ。
 
      自分を愛することをやめるとき
      ひとは
      他人を愛することをやめ
      世界を見失ってしまう。

      自分があるとき
      他人があり
      世界がある。
 
      お父さんにも
      お母さんにも
      酸っぱい苦労がふえた。
 
      苦労は
      今は
      お前にあげられない。
 
      お前にあげたいものは
      香りのよい健康と
      かちとるにむづかしく
      はぐくむにむづかしい
      自分を愛する心だ。       

そして、もう一篇の詩も、どうぞ。

     『父」』     吉野弘

      何故 生まれねばならなかったか。

      子供が それを父に問うことをせず
      ひとり耐えつづけている間
      父は きびしく無視されるだろう
      そうして 父は
      耐えねばならないだろう。

      子供が 彼の生を引受けようと
      決意するときも なお
      父は やさしく避けられているだろう。
      父は そうして
      やさしさにも耐えねばならないだろう。
                  (「吉野弘詩集」現代詩文庫12より)
コメント
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