今年も本当に大詰めだ。これからは挨拶回りと年賀状の準備に本格的に取り掛からなければならない。
午後、林田悠紀夫先生を偲ぶ会に参列した。たくさんの方が来ておられた。
最初にビデオを観た後、市長が、中丹文化会館やオムロン誘致、府営工業団地、国道173号線など、林田先生の綾部に対する功績がいかに大きかったかを説明した。
荒巻禎一元知事は副知事として林田府政を支え、その後、それを継承した荒巻府政の話などをされた。林田先生は時間があれば、どんな会合でも積極的に出て行かれ、「どこでも悠紀夫さん」と言われていたというエピソードなどを紹介された。
奥田幹生先生は林田先生のお父さんの実家と奥田先生のお母さんの実家が同じ奥上林の睦寄町長野で、学生時代に農林省のエリートであった林田先生に挨拶に行かれてからのお付き合いで、様々な政治の局面での裏話などを披露された。
永井幸喜さんは、東京あやべ会の副会長として、東京あやべ会の歴史とそれを林田先生とともに継承し、発展させてこられた様子を語られた。
川北淳議長は、林田先生がグンゼ4代目社長の波多野林一さん以来、二人目となる綾部市名誉市民に推薦され、決定された経緯などについて話をされた。
野々垣亨さんは、林田先生が通産省政務次官当時に企業立地の法案について、京都府で企業誘致が促進できるような法整備をしていただいたことについて、その功績を讃えられた。また、蜷川知事の後継者との激しい知事選での思い出話もされた。
林田先生は、誠実で、真面目で、派手ではないが丹波人特有の粘り強さを持ち、真にふるさとを愛した素晴らしい郷土の偉人であるということを改めて感じた。
両丹企画が創業して最初の仕事が、林田先生の半生を描いた「志高く、山河清し」(両丹経済新聞社刊)の製作だった。
大変思い出深い、仕事だった。







