朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

八大神社 神幸祭

2009-05-10 | 京都の文化(春)
洛北一乗寺下リ松にある八大神社の氏子祭、神幸祭が5月5日に執り行われました。
 八大神社の境内地である一乗寺下り松(さがりまつ)にて、慶長九年(1604年)、剣聖宮本武蔵が吉岡一門と決闘したと伝えられています。 吉川英治作「宮本武蔵」と、その映画で知られています。

 この神社にはいくつかのお祭がありますが、なかでも氏子が中心になって町中を練り歩くのがこの行事です。我ら家族には地元学校に通う子供もいないので、地域活動には没交渉となり、マンション族には回覧板もありません。
 町内のいたるところにお祭のポスターが張ってありました。「お神輿担ぎて募集」も。観光の要素はありませんが、地域社会のコミュニケーションに重要なことだと感じました。






 吉川英治「宮本武蔵」(講談社) 風の巻 より引用・抜粋
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すでに空身(くうしん)。何を恃み何を願うことがあろう。戦わぬ前に心の一端から敗れを生じかけたのだ。そんなことで、なにがさむらいらしい一生涯の完成か。

だが、武蔵はまた卒然と、「有難いっ」とも思った。

真実、神を感じた。幸いにも、戦いには入っていない。一歩手前だ。悔いは同時に改め得ることだった。それを知らしめてくれたものこそ神だとおもう。

彼は、神を信じる。しかし、「さむらいの道」には、たのむ神などというものはない。神をも超えた絶対の道だと思う。さむらいのいただく神とは、神を恃むことではなく、また人間を誇ることでもない。神はないともいえないが、恃むべきものではなく、さりとて自己という人間も、いとも弱い小さいあわれなもの、と観ずるもののあわれのほかではない。


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