朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

舞鶴 赤れんが博物館

2014-03-27 | 京都の文化(春)
京都府の北部は日本海に面しています。港町、舞鶴に行ってきました。



軍港としても重要な場所になっていて、太平洋戦争が終わった後、満州や朝鮮、ソ連(現ロシア等)からの引揚船の多くはここに到着しました。「岸壁の母」という歌もこの港が場面でした。(NHK朝ドラ「ごちそうさん」、悠太郎が満州から無事引揚てくるかどうか、最後のハイライトですね)



赤れんが博物館があります。明治時代に建設された赤れんがの海軍倉庫が博物館として整備されています。



古いレンガを日本のみならず世界の各地から収集して、その歴史や製造方法をわかりやすく展示しています。見学してみて、意外に面白かった。



これは、なんと紀元前2200年紀の文字が焼きこまれたラガシュのレンガです(イラク出土)。焼き物に書かれた楔形文字なので数千年後にまで残ったもの。



明治時代、文明開化と富国強兵に目覚めた新政府は、国際通信の重要性にいち早く気が付き、積極的に投資をしました。その一例ですが、児玉源太郎は外資(デンマーク、シベリアを通過したのでロシアの影響力が大きかった)により長崎に設置された海底電信ケーブル・ネットワークが戦略的に欠かせないものだが、近い将来のロシアとの戦争に備えて、英国から海底ケーブル素材を購入して備蓄すると同時に、台湾から中国への既設ケーブルの買収をしたと書いてあります。日露戦争が予想どおり勃発したのですが日本は当時、英国と同盟国であったので、英国の国際ケーブル通信ネットワークに中国で接続することができました。その結果、ロシア・バルチック艦隊の情報が逐次入手できて、対馬沖海戦に勝利できました。



その当時のシンガポールとジャカルタ(インドネシア)間の海底ケーブルです(1859年)。



明治時代は、レンガはもとより、鉄鋼も国産では品質の良いものを作ることができませんでした。そのため、鉄橋や鉄塔など重要な建築物には外国から材料を輸入し、その設計も外国に依頼しました。



博物館を出て、その近くにある「赤れんがパーク」に行きました。



海軍の倉庫群が整備されて、美しく保存されています。

建物の中には、イベント会場、舞鶴市の歴史資料展示、おみやげ物や地元工芸品の販売として使われています。



昔の海軍では、カレーが名物であったようです。
(NHK「ごちそうさん」の活男くんもこの港から出港した軍艦でカレー作ったことでしょう)(もとい、呉(くれ、広島県)の軍港かな)


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