明治時代京都市は琵琶湖から疎水を造成し、その一部が蹴上から銀閣寺門前に向かって流れている。
哲学者西田幾多郎が好んだ散策路である。
疎水の畔に住んだ日本画家橋本関雪夫妻が大正10年に寄付した桜苗木が成長し、京都でも有数の桜名所になっている。(ITUジャーナル Apr.2014)
~~追記~~
「哲学の道」法然院に行く道のあたりに、こんな石碑を見つけました。
哲学者 西田幾多郎 京大教授の歌碑です。
「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を吾はいくなり 寸心」 (昭和14年)
哲学者西田幾多郎が好んだ散策路である。
疎水の畔に住んだ日本画家橋本関雪夫妻が大正10年に寄付した桜苗木が成長し、京都でも有数の桜名所になっている。(ITUジャーナル Apr.2014)
~~追記~~
「哲学の道」法然院に行く道のあたりに、こんな石碑を見つけました。
哲学者 西田幾多郎 京大教授の歌碑です。
「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を吾はいくなり 寸心」 (昭和14年)
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