トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

「当時の価値観」で過去を見るべき?

2008-11-12 00:13:40 | 「保守」系言説への疑問
 昨日の記事の続き。


 無宗ださんは、自身のブログの記事「日本は侵略国家であったのか」で、

>しかし、現在の価値観で、過去を裁いていはいけない。
過去を裁くためには、当時の価値観を用いるべきである。
そして、当時の他国の政策、その他と比較すべきである。

と述べているが、無宗ださんと同じく田母神論文に同調的な産経新聞もまた、今日の社説で同じようなことを述べている(ウェブ魚拓)。

>もちろん、戦争を美化してはならぬが、戦後の価値観で日本の過去を裁くこともしてはならない。当時の国民がどんな価値観をもって行動したかを理解する姿勢が必要である。

 そういえば、以前話題になった「つくる会」の歴史教科書も、同様のスタンスだったと記憶している。

 当時の価値観をもって考えるのならば、植民地支配は必ずしも悪ではなかった。国際的に非難されるべきことではなかった。

 しかしそれは、わが国だけでなく、欧米についてもまた同様だろう。

 当時の価値観をもって過去を論ずるならば、欧米のアジア・アフリカ支配もまた肯定されなければならない。
 それでこそ、わが国だけが何故一方的に責められなければならないのかという反論が生きてくる。

 しかし、田母神論文に見られるような近年の大東亜戦争肯定論者の主張は、欧米の植民地支配は誤りだったが、わが国の植民地支配は正しいというものだ。
 そのために、欧米の支配に比べてわが国のそれがいかに穏健で誠実であったかということに重点が置かれることになる。
 だが、そんな理屈が、国内はともかく、他国の理解を得られるものだろうか。

 なるほど、田母神が言うように、わが国の支配は単なる収奪ではなかっただろう。
 しかしそれでも、わが国から見て、朝鮮や台湾は属領であり、満洲国は傀儡国家であったという事実は変わらない。
 五族協和、八紘一宇と言いつつも、常にわが国が支配する側、他の諸民族は支配される側にあった。
 よりましな支配だったのだから、堪え忍べ、おまけに感謝しろといった主張が、支配された側の理解を得られるものだろうか。
 被支配側からすれば、「当時の価値観」をもってしても他国の支配は悪であろうから。

 もう少し突っ込んでみたいところだが、時間がないのでここまで。
 

「(無責任な)批判をするのがカッコいいと勘違いしている人」

2008-11-11 01:23:34 | ブログ見聞録
 先の記事で、無宗ださんのことを取り上げたところ、リンク先の無宗ださんの記事に「補足」として、次のような記述が追加されている。


ネットでいろいろみていると、上記の
>過去を裁くためには、当時の価値観を用いるべきである。
を受ける形で、
>また、他国の軍閥の首領を爆殺することや、破壊活動を自作自演して軍を進めて傀儡国家を樹立することは、「当時の価値観」によっても反省すべきことではないだろうか。つまり、「当時の価値観」によってもわが国は侵略国家だと言い得るのではないだろうか。
こんなことを言っている人がいた。

>1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言わ
れてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日
本軍がやったとは断定できなくなった。

と論文のp2に書かれているのだが、これに関する言及はなかった。
まあ、所詮、「ざっと目を通した。」だけの人なのだろう。

一生懸命、汗や泥にまみれるのはダサい、、
斜に構えて(無責任な)批判をするのがカッコいい
と勘違いしている人々がネットには巣食っている。


 「こんなことを言っている」とは、私の前回の記事を指すのだろう。

 つまり、私は、
「斜に構えて(無責任な)批判をするのがカッコいいと勘違いしている人」
だというのだろう。

 私が名指しで無宗ださんのことを取り上げているのに対し、「こんなことをいっている人がいる」と匿名で批判するのは何故なのだろう。
 「振り向くバカ」とでも言いたいのだろうか。

 それはさておき、では、「一生懸命、汗や泥にまみれ」ているのは誰なのだろうか。
 田母神か、それとも無宗ださんか。
 『正論』などの偏向した論文を無批判に引用するだけの田母神、それにさらに便乗しているだけの無宗ださんが、どんな具合に汗や泥にまみれているというのだろうか。

 張作霖爆殺事件がソ連の犯行であるという説については、私は以前、「『マオ』の張作霖爆殺=ソ連犯行説について」という記事で触れたことがある。率直に言って、論ずるに足らないトンデモ説だという印象を持っている。

 無宗ださんが、いやそんなことはない、ソ連犯行説にも十分な根拠があると言うなら、私が前掲記事で述べた、瀧澤一郎が、ソ連犯行説は「情報の出所が明示されていない」と述べている点について、その後どのような補完がなされているのか、是非とも御教示願いたい。
 これは別に嫌味ではなく、私は『正論』その他いわゆるオピニオン誌の動向にそれほど詳しくはないものの、近現代史には興味があるので、そうした新事実が判明しているなら是非知っておきたいものだと思う。

 もっとも、石原慎太郎が東條英機の自決(未遂)は狂言だと主張していると述べているので、私がその根拠を尋ねたところ、私がわざわざ挙げた資料でそう読み取れると述べるばかりで、明確な根拠を挙げられなかった無宗ださん(リンク先記事のコメント欄参照)のことだ、あまり期待はできそうにないが。

 さて、私が張作霖爆殺事件はソ連の犯行であるとの説についてそれなりの関心を持っている可能性に全く思い至らず、無宗ださんは

>まあ、所詮、「ざっと目を通した。」だけの人なのだろう。

>斜に構えて(無責任な)批判をするのがカッコいいと勘違いしている人

だと批判している。

 無宗ださんの姿勢は、基本的にいつもこうだ。

 私が東條英機に批判的な言辞を吐いたら、

>個人批判はあっていいです。
>しかし、個人批判で終わってしまうのであれば、あまり意味が無いと思うのです。
>たとえば、東條氏が戦時の首相として無能だったというのであれば、何故、無能な人間に首相を任せる自体になったのかまで考えなければいけないのではないでしょうか?
>東條氏一人を非難して終わりにして良い問題ではありません。


>あの戦争を総括することは必要ですが、それは決して、指導者の誰かに責任を押し付けて終わりにできるようなことではないということです。

こんなことを述べる(リンク先記事のコメント欄参照)。

 私がいつ、東條1人に責任を押し付けて終わりにしたのだろうか。
 この点についてコメントで抗議するも、無宗ださんからの返答はない。

 無宗ださんが以前トラバを送ってくれた記事「「生きて虜囚の辱(め)を受けず」の真意 (2)」は、東條の戦陣訓解釈は通説と異なるという内容のものだった。
 さらにその前章に当たる記事「「生きて虜囚の辱(め)を受けず」の真意」では、ウィキペディアで見たという記述に基づき、

>「生きたまま虜囚になると、(敵から)辱めを受けることになる。だからそんなことにならないようにしましょう」という意味になる。

>×「捕虜となることは恥である」
という価値観はなかったわけである。

>東條英機の自殺未遂に関しては、未遂だったことに関して何かと非難があるが、それは的外れといわざるを得ない。虜囚になること自体は恥ではないのだから。

と述べられていた。

 「生きて虜囚の辱を受けず」だから、「虜囚」と「辱」が同義であることは文章から明白だ。
 「虜囚」となることは否定しないが辱められることを禁じたのではなく、「虜囚」となること自体が恥辱だと考えられていたと読むべきだろう。
 私はそのように「「生きて虜囚の辱(め)を受けず」の真意 (2)」のコメント欄で述べたが、無宗ださんから以後この点についての言及はなかった。

 その後、無宗ださんは、他のコメンターからの示唆を受けて、現在では自説を修正しているようであるが、以前の記事を訂正する気配もなければ、私の以前の指摘に対する反応もないようだ。

 再び問う、「一生懸命、汗や泥にまみれ」ているのは誰なのだろうか。
 「斜に構えて(無責任な)批判をするのがカッコいいと勘違いしている人」とは誰なのだろうか。

 いいかげんな珍説、奇説を検証する能力もなく、ただただ自分の望むような説を見かけたら飛びついて、それに乗っかって他人を批判するだけ。
 それが後に疑わしいことが判明したとしても、何の弁明もない。
 根拠もなく勝手に他人の意図を推測して、それを批判することでその人物の見解をも批判したつもりに勝手になっている人物。
 そんな輩が、ネットには少なくとも1人は巣くっているようだ。


侵略国家だと誇りは持てない?

2008-11-05 00:11:07 | ブログ見聞録
 田母神論文について、無宗ださんがこんなことを述べている

>日本は侵略国家なのか?
>我々は、侵略国家の国民なのか?
>自分は侵略国家の国民であるという意識を抱いて、人は自国に誇りを持てるものなのか?

>日本人が自ら、「日本は侵略国家であった」と規定する必要はどこにもない。
>アメリカが「インディアンを虐殺した国」「黒人奴隷の犠牲の上に繁栄した国」と自ら名乗る必要がないのと同じである。
>もちろん、反省すべき点は、反省すべきである。
>しかし、現在の価値観で、過去を裁いていはいけない。
>過去を裁くためには、当時の価値観を用いるべきである。
>そして、当時の他国の政策、その他と比較すべきである。

 戦後日本は東京裁判史観にマインドコントロールされているといった主張を繰り返す無宗ださんのこと、田母神論文にも当然同調するのだろうなとは思っていたが、こうした主張に同調できる人の思考形態みたいなものが現れてて、実に興味深い。

 自国が侵略国家であれば、自国に誇りを持てないのだそうだ。
 そして、自国には誇りを持つべきであるから、侵略国家と自認すべきではない、と。

 私などは、わが国は侵略をしたが、欧米列強もまた侵略をしたということでいいのではないかと思うし、わが国に誇りが持てるかどうかとはそんなこととは全く関係ないと思うのだが、どうもそういうふうには考えたくない人々がいるらしい。
 とにかく自国の非を認めるべきではない、自国は無謬でなければならないということらしい。
 これは理屈ではない。宗教じみている。
 だから、陰謀論と被害者史観で事足れりとしてしまうのだろう。
 なるほど、彼らの主張への違和感の原因がようやくわかった気がする。

 無宗ださんの話に戻ると、米国は既にインディアンや黒人奴隷の問題を公的に認めていると思うがなあ。
 
 また、他国の軍閥の首領を爆殺することや、破壊活動を自作自演して軍を進めて傀儡国家を樹立することは、「当時の価値観」によっても反省すべきことではないだろうか。つまり、「当時の価値観」によってもわが国は侵略国家だと言い得るのではないだろうか。

「やられた史観」は見苦しい

2008-11-03 23:11:44 | 日本近現代史
 航空幕僚長が「侵略国家はぬれぎぬ」といった主張で更迭されたそうである。
 アサヒ・コムの記事。

空自トップを更迭 懸賞論文で「日本の侵略ぬれぎぬ」
 航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長(60)が「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と主張する論文を書き、民間企業が主催した懸賞論文に応募していたことがわかった。旧満州・朝鮮半島の植民地化や第2次大戦での日本の役割を一貫して正当化し、集団的自衛権の行使を禁じる現行憲法に疑問を呈している。政府見解を否定する内容で、浜田防衛相は31日、田母神氏の更迭を決めた。

 政府は同日深夜の持ち回り閣議で、田母神氏を航空幕僚監部付とする人事を承認した。

 政府は95年に、植民地支配と侵略で「アジア諸国の人々に、多大の損害と苦痛を与えた」とした村山首相談話を閣議決定した。麻生首相も継承する考えを表明している。

 実力部隊を指揮する制服組の高官が、アジアでの日本の侵略行為を公然と否定したことは、麻生政権のアジア外交にとって痛手となる。武器使用制約の緩和など自衛隊の運用政策にも踏み込んでおり、文民統制(シビリアンコントロール)の観点からも問題視されることは必至。野党各党は国会で政府の責任を追及する構えだ。

 浜田氏は31日夜、防衛省で記者団に「政府見解と明らかに異なる意見を公にすることは空幕長として不適切で、速やかに職を解く」と述べた。麻生首相周辺によると、首相は同日夕に論文を読んで「不適切」と判断し、更迭に向けた調整に入ったという。首相は同日夜、首相官邸で記者団に「個人的に出したとしても、それは、今、立場が立場だから、適切じゃないね」と語った。

 田母神氏は同日夜、東京都内の自宅で取材に応じ、更迭について「政府の指示に淡々と従います」と答えた。論文の内容については「来週以降に答えます」と述べた。

 論文の題は「日本は侵略国家であったのか」。ホテルチェーンなどを展開するアパグループが主催する第1回「真の近現代史観」懸賞論文の最優秀賞(賞金300万円)に選ばれた。同社は31日、ホームページで論文を公表。防衛省詰の報道各社に報道発表文を配布したことから、投稿の事実が明らかになった。

 論文は日中戦争について「中国政府から『日本の侵略』を執拗(しつよう)に追及されるが、我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」と主張。旧満州、朝鮮半島について日本の植民地支配で「現地の人々は圧政から解放され、生活水準も格段に向上した」としている。

 日本の安全保障政策についても「集団的自衛権も行使できない。武器使用も制約が多く、攻撃的兵器の保有も禁止されている。(東京裁判の)マインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制が完成しない」と、抜本的な転換を求めている。
 論文がネットで公開されているのでざっと目を通した。簡単に言うと、渡部昇一あたりが言ってそうな、何でもかんでも「コミンテルンの陰謀」で片付けて、わが国は悪くないと言い募るだけの史観の産物だ。『正論』の諸論文を適当にミックスするとそういうものが出来上がるのではないか。こんなのが最優秀賞ではその賞自体のレベルが知れるなあ。また、幕僚長というのはこんな程度の歴史観で務まるものだということにも驚いた。朝日新聞の社説が、
こんなゆがんだ考えの持ち主が、こともあろうに自衛隊組織のトップにいたとは。驚き、あきれ、そして心胆が寒くなるような事件である。
〔中略〕
 防衛省内では要注意人物だと広く認識されていたのだ。なのに歴代の防衛首脳は田母神氏の言動を放置し、トップにまで上り詰めさせた。その人物が政府の基本方針を堂々と無視して振る舞い、それをだれも止められない。
 これはもう「文民統制」の危機というべきだ。
と述べているのもむべなるかな。

 田母神論文に対して異論は多々あるが、余裕がないのでここでは触れない。別の点について少しだけ述べておく。

 こうした主張に対して以前から思っているのだが、仮に、真珠湾攻撃がルーズベルトの陰謀によるものだったとしよう。日中戦争でわが国は蒋介石に引きずり込まれたのだとしよう。
 だったら、わが国は何の非の打ち所もない、純粋な被害者なのか?
 陰謀に乗せられた側、戦争に引きずり込まれた側、そしてその結果敗北を喫した側には、当然、陰謀にまんまと乗せられてしまった責任、戦争に引きずり込まれてしまった責任があるのではないか?
 しかし、こうした主張をする側からは、そのような責任を問う声は一切聞かれない。ただ、やられたやられたと言い募っていれば、あたかも自らの正当性が保証されるかのようである。まるで、よってたかって一方的にいじめられたいじめられっ子だったと言っているかのようである。
 そうした姿勢では、過去を教訓とすることはできないし、他者からの理解も敬意も得ることはできないだろう。

 かつて、韓国に次のような主張が見られた。
 日本は韓国を植民地化し支配した。収奪と愚民化政策によって韓国の発展は阻害された。さらに、日本の降伏が遅れたことが分割占領と南北分断の悲劇を生んだ。そのために生じた朝鮮戦争により南北は壊滅的な打撃を受けた。日本の支配さえなければ、韓国は統一国家としてもっと発展していたはずだ。韓国の発展を遅らせた責任は全て日本にある。
 あるいは、在日韓国・朝鮮人ならさらに次のように言っただろうか。
 強制連行により、あるいは日本の支配による経済的要因により、我々の先祖は渡日を余儀なくされ、そこで差別的待遇を甘受せざるを得なかった。しかも戦後は一方的に外国人とされ、諸権利を剥奪され、やはり差別的待遇に置かれ続けてきた。我々の現状の責任は全て日本にある。

 こうした主張に対し、自己の被害を言い募るだけでは、同情はされても尊敬は得られない、自らの主体性というものをもっと考える必要があるのではないかという指摘が、たしか田中明からあったように思う。もうずいぶん前のことで、うろ覚えだが。
 ひどく感心したのを覚えている。
 まだ「嫌韓流」がブームになる10年以上前のことである。

 かつて、韓国的なものと指摘されたタイプの主張が、近年、日本人により、それも国粋的な立場の者によりなされているという現象は、微苦笑を誘う。

 私は、「日本の植民地支配にはいいところもあった」とか「韓国併合は韓国人にも責任がある」とか「日本だけが侵略をしたのではない」といった主張には賛同する。
 しかし、この田母神論文のような、近年見られる、陰謀論に基づく日本全肯定論とでも言うべき見方には到底賛成できない。
 そして、陰謀論に基づくやられた史観は、端的に言って見苦しいと思う。