トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

田母神論文への反応に対していくつか思ったこと(1)

2008-11-14 08:31:52 | 「保守」系言説への疑問
(1)言論の自由との主張について――自衛官はロボットでよい

 田母神論文への批判に対して、自衛官には思想・表現の自由はないのかとの反論が見られた。自衛官にロボットになれと言うのかという発言も目にした覚えがある。
 誤解を恐れずに言えば、自衛官はロボットでよい。
 内閣の見解に反する私見を公表する自由は自衛官にはない。

 そもそも、軍人に政治的見解は不要である。
 軍人が、この戦争は誤った戦争であり、戦うべきではないと考えて、上部の命令にもかかわらず、勝手に戦闘を拒否することは許されない。
 あるいは、この戦争はわが国の国益上是非とも推進すべき戦争であるから、行け行けドンドンでやってしまえとして、命令もないのに勝手に現地の判断で軍を進めることもまた許されない。
 軍人は上官の命令には絶対服従であるべきだし、軍のトップは政治のトップに服従しなければならない。
 政治のトップが民主党に変わろうが、共産党に変わろうが、はたまた維新政党・新風に変わろうが、それによって軍が付和雷同してはならない。

 内心の自由はもちろんある。
 しかし、例えば閣僚が内閣の見解と相反する私見を公表したとすれば、撤回を要求されるだろうし、それを拒否すれば更迭されるであろう。
 ましてや下僚である幕僚長においておや。

 言論の自由をタテに田母神を擁護する人々は、では幹部自衛官が赤化思想に染まって、現政権を武力革命で転覆すべきであるといった論文を発表しても、不問に付すべきだと言うのであろうか。
 はたまた、腐敗堕落した政党政治はもう当てにはできない、我々が実力をもって国家を改造すると主張した場合はどうか。

 日本国民である以上言論の自由は当然ある。しかし、その立場立場で、制約は当然受ける。
 麻生首相のコメントは全く正しい。


(2)士気が保てない?

 こうした発言が制約を受けては、自衛官の士気が保てないとの主張も見られた。田母神自身、11日の参考人招致でそのような発言をしている

 わが国が侵略を行ったということを認めては、士気が保てないのか?
 非の打ち所のない、すばらしい国でなければ、命をかけてでも国を守ろうという気にはなれないのか?

 私には家族がいる。
 彼らは当然完璧な人間などではない。私と同様に。
 時にはけんかもする。けんかにまで至らずとも、腹を立てるぐらいのことはしばしばある。
 それでも、私の家族に危害を加えようとするものがあれば、私は全力でそれと戦うだろう。
 何故なら、彼らは私の家族だから。ほかに理由はいらない。

 家族を持たない者であっても、自分の属する共同体に愛着をもち、それを守ろうとするのはごく自然なことだろう。
 郷土愛、そして祖国愛とは、そうしたものではないだろうか。
 すばらしい国だから守るのではなく、自分の国であるから、そこに家族がおり同胞がいるから、守ろうと思うのではないだろうか。
 
 輝かしい歴史でなければ士気が保てず、自国を守れない、そのためには歴史の偽造も過去への無反省もお構いなしというのなら、私は一納税者として、そんな自衛官には守ってもらいたくはない。

 田母神は、

>人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。

と言うが、「特別な思想を注入され」ているのはむしろ田母神ではないか。
 自国が「侵略国家」であれば愛することはできないという特別な思想を。