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「東京裁判史観」の「呪縛」とは

2008-11-21 22:30:05 | 日本近現代史
 日本経済新聞が今年の9月から11月にかけて「判決60年 文書にみる東京裁判」という連載記事を載せていた。
 私は日経は購読していないのであまり読む機会はなかったが、たまに見るとなかなか興味深い内容ではあった。
 国立公文書館が所蔵する東京裁判の裁判記録の整理とマイクロフィルム化を完了したことを受けての企画なのだという。
 是非とも単行本化していただきたいものだ。

 今月12日付け日経朝刊には、その連載の最終回として、井上亮編集委員による総括的な記事が掲載されている。
 その中に、昨今の田母神騒動がらみで、我が意を得たりと思える箇所があったので、紹介したい。


 たしかに、歴史上前例のないナチスの犯罪を裁くためのニュルンベルク裁判で〝創設〟された「平和に対する罪」「共同謀議」という鋳型を無理やり日本に当てはめた裁判であった。しかし、この裁判は本当に日本人の近現代史観を縛ってきたのだろうか。
 満州事変の謀略や数々の虐殺事件など、日本人が知らされていなかった事実が明らかになった一方、張作霖爆殺事件から一貫した軍閥の侵略謀議があったとしたり、日ソ中立条約の背景に日本の侵略意図があったとするなど無理のある歴史解釈がみられる。ただ、戦後の昭和史研究でそれらは否定されており、現在、裁判の史観を丸ごと受け入れている日本人はほとんどいないだろう。

東京裁判を全否定することで、戦前の日本の全肯定につなげようとする極端な論がある。これは裁判を利用した「裏返しの東京裁判史観」にほかならない。裁判を否定しても歴史は変わらない。それよりも歴史解明の材料の一つとして、冷静に見つめていくべきではないだろうか。
〔太字は引用者による〕


 そのとおりだと思う。
 わが国の侵略性を認めることは、必ずしも東京裁判を無条件で肯定することを意味しないはずだが、昨日取り上げた産経の社説に見られるように、侵略と認めることが即東京裁判史観であるという決めつけが保守論壇の一部で目立っている。
 これは、いわゆるレッテル貼りであり、反論封じの手法である。
 「裏返しの東京裁判史観」とは言い得て妙だ。私も使わせてもらおうかな。

 


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