トラッシュボックス

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Re:日本語感覚・日本語解釈(前編)

2008-11-18 23:59:18 | ブログ見聞録
 無宗ださんからトラバいただいた記事「日本語感覚・日本語解釈(1)」「日本語感覚・日本語解釈(2)」の感想。


(1)侵略か自存自衛か

 無宗ださんは、わが国は侵略などしていないと言うのかと思ったら、「侵略的行為をしたかもしれない」が「侵略国家」ではないと言う。
 何故なら、「侵略国家」とは、「(国家戦略として)侵略戦争を行う国家」を指し、「侵略戦争」とは「侵略を目的とした戦争」であるが、わが国は「侵略的行為をしたかもしれない」が「侵略戦争はしていない」、「自存自衛の戦争を行った」からだと。
 「したがって「日本は侵略国家であった」との命題は承認できない」と。

 戦争の過程で侵略的行為(どういう行為を指すのだろう?)はあったかもしれないが、戦争の目的としては侵略ではなく自存自衛だと言いたいらしい。
 自存自衛の戦争というのは当時のわが国の主張そのままなのだが、果たして、侵略戦争であることと自存自衛の戦争であることは両立しないのか?

 私は、当時ブロック経済化が進む中、わが国は満洲に活路を求めるしかなかったという主張には一理あると思う。
 しかし、だからといって、張作霖爆殺や満洲国建国を正当化できるのか?
 相手方から見れば侵略と言われるのが当然ではないのか?

 自存自衛と言うなら、欧米のアジア・アフリカ侵略もまた同様のことが言えるのではないか。
 ナチス・ドイツも「生存圏(レーベンスラウム)」を主張して周辺諸国への侵略を正当化していた。

 自存自衛という言葉本来の意味からすれば、むしろ蒋介石や毛沢東の抗日戦こそがその名にふさわしいのではないか。

 私は、わが国から見れば自存自衛のためという要素はあったが、相手方から見れば、また第三者から見ても、侵略戦争であったと考える。


(2)「侵略国家」という呼称について

 無宗ださんは、「侵略国家」とは、「単に侵略行為を行った国家という事実のみを表す言葉」ではなく、「(国家戦略として)侵略戦争を行う国家」を指すものであり、承服できないとする。

 私は、田母神論文の言う「侵略国家」とは、文字どおり、単に侵略を行った国家という意味にとっている。

 無宗ださんが言う「「日本は侵略国家であった」との命題」とは、誰が誰に対して主張しているものなのだろうか。

 無宗ださんのブログのコメント欄でも述べたことだが、田母神論文以前には「侵略国家」なる用語はほとんど使われていなかった。
 まれに使われることもあったが、それはわが国の侵略を否定する側に立つ者によるものだった。
 無宗ださんが「侵略国家」というレッテルを拒否するというのなら、それはまず、田母神らに対して言うべきであろう。
 自作自演、マッチポンプではないだろうか。


(3)悪ではないとの主張について

 無宗ださんは唐突にこんなことを言い出す。


>しかし、倫理的に悪だったから戦争に負けたわけではない。
戦争に負けた側が倫理的に悪で、
戦争に勝った側が倫理的に善・正義であるわけではないのだ。

>戦争の勝敗によって、善悪が決まるといった見方は承認できない。


 そんなことは当たり前だ。
 誰がそんなことを言っているのだろう。

 おそらく、戦前日本は倫理的に悪だったわけではないと言いたいのだろう。
 たしかに、中国や韓国、北朝鮮にはそのような主張があるとは聞く。
 また、国民の一部にもそういう声があるように思う。
 しかし、今回田母神論文を批判する者の大多数は、決してそのような観点から批判しているのではないだろう。

 私は先に、わが国の戦争を侵略戦争と考えると述べたが、別に倫理的にわが国が他国に比べて劣っていたとは思わない。
 もちろん、倫理的に悪だったから戦争に負けたなどとも思わない。
 そもそも歴史や政治の解釈に善悪といった概念を持ち出すこと自体、不適切なことだと思う。

 無宗ださんは、物事を善悪で裁くのがお好きらしい。
 そして自分は、何としてでも「悪」とは呼ばれたくないらしい。
 しかし、侵略は「悪」だと無宗ださんは思う。
 だから、「悪」と呼ばれることは何としてでも認めるわけにはいかない。

 結論が先にあって、それに合わせて自説を形成しているわけだ。

 だから私は以前の記事でこう書いた。

 私などは、わが国は侵略をしたが、欧米列強もまた侵略をしたということでいいのではないかと思うし、わが国に誇りが持てるかどうかとはそんなこととは全く関係ないと思うのだが、どうもそういうふうには考えたくない人々がいるらしい。
 とにかく自国の非を認めるべきではない、自国は無謬でなければならないということらしい。
 これは理屈ではない。宗教じみている。
 だから、陰謀論と被害者史観で事足れりとしてしまうのだろう。
 なるほど、彼らの主張への違和感の原因がようやくわかった気がする。


 これは何も、無宗ださん個人を指しているのではない。
 田母神論文みたいなものを安易に肯定する人々が前から私は不思議だったのだが、

>自分は侵略国家の国民であるという意識を抱いて、人は自国に誇りを持てるものなのか?

↑無宗ださんのこの文章を見て、ようやくわかった気がしたのだ。

 普通は、まず侵略したかどうか、その事実があったかどうかを問題にすると思うのだが、こういう人々はそうではない。
 まず、誇りを持つべきである、という前提がある。
 そのためには、侵略を認めてはならない。
 そのためには、侵略否定に都合のいい事実ばかりをつなぎ合わせ、陰謀論にも依拠しよう。都合の悪い事実は無視しよう。自国に誇りを持つことは正しいのだから。

 こういう思考法なのだろうと。

>どこから、こういった決め付けが行われるのかが私には理解できない。

 こう書けば理解できますか? 無宗ださん。


続く