山と道・野の花のこと

揺れずに咲く花がどこにあるだろうか
この世のどんなに美しい花も揺れながら咲くのだ
<ト・ジョンファン>

槍ヶ岳⇒上高地@昭和3X年の旅

2021-01-31 | 昭和時代の記録
北アルプスの裏銀座の縦走を
槍ヶ岳登頂で締めくくった後は
いくつかの撮影スポットで
記録を残しながら
上高地へ下っています。
殺生ヒュッテ付近からの
見事な三角形の槍ヶ岳

ザックの重みに耐え
槍ヶ岳に向かう登山者

天狗原分岐

槍ヶ岳の撮影スポット:天狗池を分ける
横尾山荘

重そうな入口の引き戸
懐かしい電話の看板
梓川に沿って下る

テント場

徳沢園

泊ったことがあるのか
通過するたびに写真あり。
焼岳を背景に河童橋

今も変わらぬ人気スポット
梓川と穂高岳

焼岳の噴火でできた大正池

水面に立つ枯れ木は
噴火から長い時間が経過し
今では見られなくなってしましました。
*
裏銀座縦走の旅に
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。
楽しい旅になりました。
end

西鎌尾根と槍ヶ岳@昭和3X年の旅

2021-01-28 | 昭和時代の記録
双六小屋を後にして
槍ヶ岳の西鎌尾根登山中の写真は
多くありませんでした。
休憩が少なかったのだと思います。
ハクサンイチゲと槍ヶ岳

貴重な花の写真
白黒写真ではモチベーションが
上がらないからしかたないでしょう。
硫黄の頭

休憩するのにちょうどいい場所のようです。
硫黄の頭・槍ヶ岳と休憩する登山者
昭和40年以降の登山ブームの前触れが
程よい山の賑わいです。
槍の穂先に取り付き

小槍を通過
小槍を見下ろす

残念ながら
山頂の様子を撮った写真は
ありませんでした。
当時は鉄はしごもなくて一方通行のため
山頂でゆっくりすることは
できなかったようです。
ここまでの裏銀座の縦走路を見渡して
三ツ岳~鷲羽岳

鷲羽岳~西鎌尾根

360度の絶景の中で
後ちょっとで行けそうに近い
穂高岳

今回のルートから外れて残念な
笠ヶ岳

日付の入った記録がないので
何日かけて歩いたのかわかりませんが
写真の整理だけでも
ずいぶん時間がかかりました。

下山路につづく
 

三俣蓮華岳・双六岳・双六小屋@昭和3X年の旅

2021-01-24 | 昭和時代の記録
深田久弥さんの
日本百名山より
初め鷲羽岳とは今の三ツ俣蓮華岳を指していた。
そこは三国の御境目であったから、名前の存したのは当然だろう。
ところが文政の頃の記録に、この鷲羽岳の東北方にある顕著な一峰に
東鷲羽岳の名が現れた。現在の鷲羽岳はその東鷲羽岳である。
3つの都道府県を分ける地点を三国境といい、
日本百名山の山頂では
雲取山・甲武信ヶ岳が該当します。
三俣蓮華岳は現在も3県の境にあり
長野県・富山県・岐阜県を分けています。

三俣蓮華岳より北(富山県方向)には
写真右の祖父岳とその左に雲ノ平

南には三俣蓮華岳より13m背の高い丸山

丸山から双六岳は長野と岐阜の県境です。
南東には北アルプスの灯台
槍ヶ岳

ケルン

丸山より6m高い双六岳へ
進んで振り返ると

左の丸山・奥に黒岳・右に鷲羽岳の
美しいトライアングル。
進行方向が東に変わり
登山者がネットでよく紹介している
この辺りでは珍しい平坦な道と槍ヶ岳

ハイキングみたいな登山道

樅沢岳との鞍部にある双六小屋から
双六池越しの笠ヶ岳

テントが3張と10名ほどのパーティーが
写っています。
少しアップにした
弓折岳・抜戸岳・笠ヶ岳

このシリーズ唯一の山小屋の写真
樅沢岳方向に進み、見下ろす双六小屋

テント場の近くからの写真が多い
気がしますので、この旅は
テント泊による縦走だと推測します。
つづく

祖父岳・雲ノ平@昭和3X年の旅

2021-01-21 | 昭和時代の記録
写真の袋の順番では
鷲羽岳の後が雲ノ平になります。

どのルートを通ったのかは
定かではありませんが
祖父岳からのパノラマ写真が
野口五郎岳に続き
たくさんありました。
映画館のスクリーンのように
視界いっぱいに広がる緑の山並みは
写真で伝えることができるのかは別として
そこにいることの幸せを
その枚数で測ることができます。
水晶岳からワリモ北分岐まで

左奥は赤牛岳・剣岳・立山だと思われます。
ワリモ北分岐からワリモ岳・鷲羽岳・槍ヶ岳

槍ヶ岳に向かう道・笠ヶ岳

何を眺め、語らうのか
帽子が似合うふたり

登山ブームもあって
山小屋が建てられ
秘境雲ノ平は登山者の姿が
多く撮影されています。
黒部五郎岳を象徴するカールが
見えてきました。

コバイケイソウも咲いています。

草の生えていない平らな場所
テント場に向いているが
現在のテント場は
祖父岳のふもとの傾斜地にあり
同じ場所かはわかりません。

それはともかく
黒部五郎岳から太郎平・薬師岳への長い稜線が
雲ノ平を秘境にしているもう一つの壁です。
以下
日本百名山に雲ノ平と記載のある部分から
抜粋して<>で掲載しました。
薬師岳

<全く呆れるくらい巨大な壁が眼路の正面を扼している>
扼(やく)するとは、要所を占める・強く押さえる
黒部五郎岳の上に笠ヶ岳

<中村さんは黒部五郎岳のカールが描きたくて、
ここからわざわざ雲ノ平まで写生に通っている…>

雲ノ平に遊ぶ人々

黒岳(水晶岳)の下に張られたテント

<どっしりとした重厚感をもって迫ってくる>
絶好のスポットだけれど
現在のテント場と同じ場所かは不明です。
つづく

ワリモ岳・鷲羽岳・三俣山荘付近@昭和3X年の旅

2021-01-18 | 昭和時代の記録
これは?と思う小説を
図書館で予約して読むことが
雪の新潟では特に、冬の楽しみであります。
昨年夏に予約した本を
ようやく手にすることができました。
線は、僕を描く
砥上裕將さんの書いた小説で
魅力的な登場人物が
生き生きと描かれていて
あっという間に読み終えてしまいました。
ここのところ
色のない写真の整理が続き
水墨画の世界と気持ちが同調する環境が
整っていたのかもしれません。
山での時間は限定されるので
感動の写真を撮るための
最高の時間を待ち続けるには
万全の準備と少しの幸運が必要です。
移り変わる自然と向かい合い
感動を見落とさないセンサーを
磨き続けたいものです。
黒岳(水晶岳)から1時間半で
ワリモ岳です。

板状節理が発達した安山岩が特徴的。
安山岩とは
マグマが地表付近で急速に冷えた火成岩である

ワリモ岳からの鷲羽岳
羽を広げた鷲を<横>から眺めている。

鷲羽岳山頂からの鷲羽池

深田久弥さんの日本百名山によれば
この火口湖は昔「竜池」と呼ばれ
山の名前もそこから
竜池ヶ岳だったそうです。
鷲羽岳と同じ袋に入っていた
斜面の写真


特徴のある山がないと
場所の特定は困難です。

三俣山荘付近からの槍ヶ岳

つづく

野口五郎岳・黒岳(水晶岳)@昭和3X年の旅

2021-01-14 | 昭和時代の記録
烏帽子小屋から野口五郎岳までは
歩いて3時間30分ほど。
日本百名山ではありませんが
目の前に広がる山々は
すべてを写真に残しておきたいと
思えるほどの絶景です。
パノラマに加工するのも
楽しい作業でした。

南にはこれからの道
鷲羽岳から槍ヶ岳に至る

西には
黒岳から赤牛岳に続く読売新道。

その上に浮かぶような
薬師岳の雄姿
北には
三ツ岳からの今までに歩いた道

その後、水晶小屋まで3時間、
どの登山口から登っても
丸2日かかります。
最後の秘境にふさわしい風景に
疲れも吹き飛ぶでしょう。
黒岳に向かう途中で
鷲羽岳

黒岳からのパノラマ

左に鷲羽岳
その奥に槍ヶ岳。
見渡して撮った写真の枚数が
喜びの大きさを表しています。
パノラマ写真に加工することに慣れてきて
明るさを調整するまでの余裕ができました。
遠景が霞んでどこか
よくわからないけれど
この辺りで撮ったケルン。

人物の写真がまったくありません。
秘境を満喫‼
つづく

烏帽子岳・三ツ岳@昭和3X年の旅

2021-01-06 | 昭和時代の記録
ブナ立尾根を登った後
烏帽子小屋からの行動が
どうだったのか?
ここからは想像して進めます。

黒岳(水晶岳)への道のりの
最初のピークである三ツ岳を望み

進むのは逆方向の烏帽子岳へ。
まだ裏銀座という愛称もない
殆ど歩く人もいない山奥に
誰が積上げたのか・ケルン

(人によって組み立てられた積み石)
前烏帽子岳を超えると現れる
天を衝く烏帽子岳。

頂上付近の岩塊

(写真の裏にメモあり)
これから始まる縦走の
進む先を眺め

三ツ岳(左側)と野口五郎岳(右側)の
堂々とした山容。
烏帽子小屋に戻る途中で振り返り
見納めの烏帽子岳

奥には立山が控える。
三ツ岳に向かう途中で振り返り

剣岳を真ん中にして
遠くに霞む後立山
左前方には
槍ヶ岳が見えてきました

右前方には
ミニ双耳峰のような
黒岳(水晶岳)

そして
ネットで検索しても
どうしてもわからない場所…
形からして三ツ岳か?

(現在のルートは巻き道になっていて
この撮影地点を通らないのか?)
構成は想像を含み
実際と異なる部分があるかもしれません。
ご了承ください。
つづく

東信電気鉄道の線路・烏帽子小屋@昭和3X年の旅

2021-01-04 | 昭和時代の記録
昭和時代の未整理の
北アルプスの写真・ネガの中で
かなり珍しいと思われる
裏銀座コースに
手を付けることにしました。
日付の記載がなかったのですが
他のシリーズと同じころのものとして
昭和30年代とさせていただきます。
枚数が多く大変そうなので
後回しにしていましたが
つないでできるパノラマ写真が多く
雪形がパズルを解くカギになりました。
私自身は登ったことがなく
燕岳などから遠くに眺めたことのある
あこがれの山塊です。
線路を歩く登山者で始まります。

<ウィキペディアより>
東信電気株式会社(東京電力の前身の一つ)によって
ダム建設の専用鉄道として開発された。
東信電気鉄道は
信濃大町駅から笹平まで12kmが電気鉄道。
笹平から七倉までは貨車を馬にひかせる馬力
七倉からコジ沢までは牛にひかせる牛力
という・のどかな運用で
市街地では住民を、奥地では登山者を
便乗させていた。
運航ダイヤなしで、
単線上で列車同士が鉢合わせすることもあったという。
1969年(昭和44年)の台風による水害で
軌道が流出し、廃線となった。

その後は川に沿って
レールがないだけの線路のような道を
歩いていきます。


尾根まではずいぶん上るようです。

北アルプス3大急登の
ブナ立尾根です。
途中の写真は1枚しかなくて

展望は開けなかったのかもしれません。
ということで
烏帽子小屋に到着です。

つづく