山と道・野の花のこと

揺れずに咲く花がどこにあるだろうか
この世のどんなに美しい花も揺れながら咲くのだ
<ト・ジョンファン>

槍沢ロッジ→槍ヶ岳山荘☆槍ヶ岳@日本百名山№62

2023-07-31 | 62槍ヶ岳(夏)
槍沢ロッジで朝食をいただき
6時半に出発しました。
遅い出発なので
後ろから追い越す人が少なく
槍ヶ岳山荘まで
ツアーのペースで歩くことができました。

地図の右下から左上へ
槍ヶ岳の山頂は飛騨乗越の上で
コピーが切れています。
申し訳ありません。
空は曇っていましたが
雨が降る気配はありません。

最初は林の中の道を上り
樹木の高さが低くなると

足元に花が多く咲いていて
写真に残したのは
グンナイフウロ・エゾシオガマ
だけでしたが、もっと多種類の花が
咲いていました。
槍沢ロッジから45分で
ババ平に到着です。

テントはたくさんありましたが
人は少なく、みんなどこに行ったのでしょう。
トイレ休憩をして、出発です。

氷河の削った谷を草木の緑が覆い
稜線は雲が隠しています。
頑張って山を登らないと見られない
山奥まで来た満足感があります。

 緑の中には
多くの花が群生していました。
ニッコウキスゲ

ヨツバシオガマ

その他に
写真は撮りませんでしたが
ハクサンイチゲの白や
ミヤマキンポウゲ・キンバイの黄色
の花畑が広がっていました。
道幅が狭く、
大勢が休める場所がなかったので
次の休憩は大岩で
ババ平から1:30でした。

青空が少し見えると
皆さんの声が明るくなります。
再び、スマホのAR山ナビで
振り返った山々の名前を確認です。


休憩を終えて再び上り始めます。
天狗池は地図で見ると
すぐ近くにあるようですが
槍沢をトラバースする道を
少し下ってから上るので
簡単に行ってみたいと思える距離
ではありません。

写真の左上です。
行く先の稜線は
相変わらず雲の中です。

キバナシャクナゲが
きれいに咲いていましたが
2台のカメラで撮った写真は
どちらもきれいに色が出ませんでしたので
写真は省略します。
大岩から1:20で播隆窟です。

相変わらず稜線は雲の中です。
ARで槍ヶ岳の方向を確認すると
晴れていれば見える場所まで
来ているようです。

殺生ヒュッテでトイレ休憩です。

ババ平からここまでトイレがないので
トイレが近い人は大変でしょう。
目的地はもうすぐです。
雲が薄くなって
槍の穂先の根元が見えました。

見える範囲の緑の草原は
ハクサンイチゲで
埋め尽くされていました。

12:10に槍ヶ岳山荘に到着です。

合計時間5:40
標準時間4:50
YAMAPは
この日1日の休憩時間で集計されるため
この間の休憩時間はわかりませんが
ほぼ標準タイムで上ったと思います。
晴れなかったので
涼しくて、いいペースで登れました。
槍ヶ岳山荘では12.3℃でした。
昼食はカレーでした。

御飯が槍の穂先のように
円錐形に盛られていて
テンションが上がります。
カレーも本格的な味で
疲れていてもスイスイ
お腹に入っていきました。
曇っていて
槍沢の写真が冴えないものばかり
でしたので、
昭和30年代(日付は不明)の
雪がたっぷりと残った槍沢を
ご覧ください。



つづく

上高地→槍沢ロッジ☆槍ヶ岳@日本百名山№62

2023-07-27 | 62槍ヶ岳(夏)
上高地バスターミナルから槍沢ロッジまで
ガイドブックによれば
歩行距離14km、4:50の行程です。


出発してすぐに
観光客でにぎわう河童橋です。


昭和31年(1956年)には男性客がほとんどで
奥に見えるのは焼岳
無舗装の林道をまっすぐ進むと
1時間で明神に到着。

観光客や登山者は大勢います。
天気予報は曇り時々雨で
あまりよくはありません。
今のところ
山の稜線は雲に隠れ
ひたすら歩くのみでした。
その後は少し梓川から離れますが
再び川に近づいたところで
前方が見通せました。
AR山ナビというアプリで
山の名前を調べます。
ARとは
Augmented Reality(アグメンティッド・リアリティ)
現実世界を立体的に読み取り
仮想的に拡張する技術のことで
拡張現実とも呼ばれています。
このアプリは無料で使えて
スクリーンショットを記憶できるので
今まで山の名前を調べるのに費やした
多くの時間が不要になりました。
表示される山の数も調整することができます。
使いこなせている訳ではないので
うまい方法があるのかもしれませんが
歩いていると
現在地が自動で変わらず
山の名前が左右に少しズレるのが不満です。

この写真は山の名前が少し左にズレています。
林道はやがて徳澤園に至ります。
その手前のテント場は
カラフルなテントが並んでいます。

昭和31年のテント場は
白黒写真で申し訳ありませんが

同じような形のテントが並んでいます。
徳澤園の建物は形がそっくりですが
塗装色はシックになりました。
2023年

昭和31年(1956年)

ここで12時となり、昼食タイムです。
配られた弁当をいただきました。
林道は続きます。
屏風ノ耳に至る新村橋は
両岸の支柱が残るのみで
通行はできません。
工事のためのショベルカーが
向こう岸に見えました。
徳沢から1:10で横尾に到着です。
横尾山荘は67年前の面影はなく
立派な建物になりました。
2023年

昭和31年(1956年)


ここで涸沢に至る横尾大橋を分けると
すれ違う登山者は減り
やがて道が狭くなり
本格的な山道となります。

もうすぐ槍の穂先が見える槍見河原
ということで
AR山ナビで方向を確かめると

まだ、だいぶ左のほうで
雲がかかっているので
結局、見ることはできませんでした。
一ノ俣・二ノ俣にかかる橋を渡ると

少し傾斜が増して
休憩した広場の脇に
アカバナイチヤクソウが
きれいに咲いていました。


もうすぐ槍沢ロッジという
案内板に励まされて
程なく槍沢ロッジに到着です。

横尾から休憩時間を入れて
2時間かかりました。
これで1日目の行程は終了です。
天気予報は大当たりです。
曇り時々雨。
ただ、ザックにレインカバーをした程には
強い雨が降り続くことはありません。
レインウェアも着用せずに済みました。
気温は、槍沢ロッジで17.7℃。
涼しくて動きやすい1日でした。
2日目の天気予報も同じようなもので
展望はあまり期待できません。
この日の
YAMAPの活動データによると
合計時間は5:48・休憩時間0:58
正味行動時間は4:50
これはほぼ標準タイムと同じ。
ツアーですので休憩時間は多めです。
ちなみに
移動距離は14.4㎞
累積標高差:上り500m・下り184m
あまり下った記憶はありませんが。
槍沢ロッジの部屋は
男性5人で相部屋の1室で
石鹸は使えないけれど風呂もあります。
泊まったのは別館の1階で
トイレがすぐ近くにあったのが
便利でした。
つづく

アルピコ上高地営業所☆槍ヶ岳@日本百名山№62

2023-07-25 | 62槍ヶ岳(夏)
休みと天気の関係で2023年の山旅は
7月まで休止になってしまいました。
個人で出かけられる山は限られて
今回は登山ツアーに参加しました。
今年の梅雨末期は各地で豪雨となり
7月中旬で設定された槍ヶ岳行きは
天候が最も心配されましたが
ツアーは雨でも決行されます。
ツアー参加のため、
沢山咲いていた花の写真はほとんどあきらめました。
今回は所々に
昭和31年(1956年)7月の様子を
併せてご紹介したいと思います。
早朝に出発したツアーバスは
マイクロバスで
前の座席との間が狭く
足がまっすぐ入りません。
上高地まで4時間以上かかるので
落ち着けませんでした。
休憩でバスの外に出るとホッとしました。
新型コロナが5類に移行したため
どこも混雑しています。
安曇野のサービスエリアにて

奥の三角の山は常念岳です。
バスの車内より
松本電鉄の終点でもある
新島々バスターミナルです。

いつも車で出かけるため
さわんど駐車場のお世話になり
電車で行く登山の象徴である新島々駅は
昭和の香りがしてあこがれます。
アルピコ電鉄の上高地営業所です。

2回ほど来ているので
変わらない建物と大勢の観光客で
新型コロナの自粛生活が終わったことを
前向きに考えたいと思います。
昭和31年7月の
松本電鉄上高地営業所です。

奥に見える山は今と変わらず
登山ブームの最盛期で
山登りの人がほとんどですが
観光で来た人が目立っています。
槍ヶ岳山荘の
お土産を入れた袋のイラスト



1枚目は昭和31年のもので
2,3枚目は2023年7月の手ぬぐいの袋です。
時代を超えて愛され
変わらずに引き継がれるものを
これからもみんなで
守っていきたいものです。
槍ヶ岳山荘の箸入れ

2023年7月のもの
デザインがシンプルで繊細になり
令和の時代を感じさせます。
私以外にも持ち帰る人がいました。
深田久弥さんの
日本百名山より
現在では、上高地から槍までの途中に幾つも小屋ができ、
夏は登山者が列をなしている。
一生に一度は富士山に登りたいというのが庶民の願いであるように、
いやしくも登山に興味を持ち始めた人で、まず槍ヶ岳の頂上に立って
みたいと願わない者はないだろう。
つづく