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ヒヨコ・イン・ザ・ワールド

Fukunosukeとhiyokoのlifelog。

東京建物探訪~江戸東京たてもの園~(その3)

2009-09-09 22:52:52 | 日帰りドライブ
Fukunosukeです。



さて、たてもの園の最後は、東京下町地区。



ムーミンに出てくるお家みたいな、消防署の望楼。




交番では、hiyokoの駐在さんが大威張り。

hiyoko:「みんな逮捕です」

Fukunosuke:「えー、なんでー」




村上精華堂という、化粧品の会社の建物。hiyokoに、「これってあの
村上開新堂?」と聞いたら、やっぱりバカにされました。



帳場の机の上には、台帳が見開きのまま。まるで、お店の人達は昼食で
席をはずしてます、すぐ戻ります。といった風情。凝った展示です。



映画のセットみたいですが、ハリボテじゃなくて、本当に人が暮らして
いた建物なんですよね。究極のリアル。





番傘屋と醤油屋。



醤油屋の店内。いかにもだなー。この缶は味噌
ですか?そういえば、三軒茶屋には、これに近い
雰囲気の味噌屋がまだあったね。



三省堂という文具屋の店内。居合わせた他の観光客曰く、壁一面の
引き出しが、「千と千尋の神隠し」で、お風呂の薬草の調合部屋の
モデルになったんだそう。そういえば見覚えあるね。



すごいのは、建物の裏まで、情景がリアルに
再現されていること。



全く驚く。井戸はちゃんと水が出るし。実物大のジオラマも、
ここまで作りこんだら本気で住めますよ。





hiyoko:ニョコ。


“ニョコ”じゃありません。人の家ですよ。出てきなさい。

hiyoko:「えへへ」



子宝湯という銭湯。





わー。体育館級のスケールです。





hiyoko:ニョコ。


“ニョコ”じゃありません。係りの人に怒られます。出てきなさい。

hiyoko:「えへへ」



入浴者の心得を読むと、どうやら下半身関係の注意が多いようです。
むー。注意喚起をしなければならないほど、当時の下半身は危険に
満ちていたのかな。




さて、江戸東京たてもの園はこんな感じでした。単に昔の家を移築する
だけでなく、人々の暮らしや空気まで再現し、当時の息づかいまで後世に
残そうとする意気込み、こだわりには本当に感心します。まだ移築用の
更地があるので、今後も建物が増えそうです。楽しみ。

で、思ったのですが、もっとたくさん古い建物をここへ移築して、建売
住宅として売ったらどうでしょう。
新しい不動産ビジネスとしても、日本の住宅遺産を後世に残す意味でも、
とても有意義な試みに思うのですが、、、。

その時は、僕は最初に紹介した田園調布の家に住もうと思います。予約ね。
え?hiyokoは前川邸なの? んー困ったな。これからはお隣さんですね。



東京建物探訪~江戸東京たてもの園~(その2)

2009-09-07 21:30:34 | 日帰りドライブ
Fukunosukeです。



さて、今回は大屋敷を2つ紹介。


まずは三井邸。そう、あの三井家。戦後、
財閥解体後に作られた小さめのお屋敷。



へっぽこ写真では、スケール感が沸かないかもしれませんね。延べ床
面積386㎡+土蔵149㎡と言えば、多少は呆れてもらえますでしょうか。
しかも当時は、他にも居間や茶室や寝室などなど、更に規模が大きか
ったとか。やれやれ。


戦前の三井家にはもっと大きなお屋敷があったそうです。確か、
「敷地1万3千坪」とか説明があった。いい加減にしてほしい(笑)。


玄関ホールには、ラリックの天井灯。



1階の客間、食堂は、和室の作りですが、応接
セットやダイニングテーブルが配されています。



変わってるぅ。双葉葵というのかな?



茶室は、ちょっと派手好みかな。



2階はさらに派手。なんと仏間があって、その
前の廊下は、折上げ天井にシャンデリア!



やだなこれ。ちょっとついていけないぞ。



気を取り直して再び1階へ。


台所、というか厨房横の配膳室だけでこの広さ。



ホテルの厨房にあるようなガス台。



んー。お金持ちって、どうしても派手になっちゃうので
しょうか? もうちょっと控えめにできないのかなー。

え、大きなお世話ですか? そうですよねぇ。




ちょっと胸焼けを残したまま、高橋是清邸(1902年)へ。


へへ。名前を聞いて「何だっけその人」ってhiyokoに
聞いちゃいました。2・26事件で殺されちゃった
政治家ですね。hiyokoは知ってました。エライ。

で、これがまた老舗旅館のような風情。



主屋(パンフレット原文のまま)だけを移築展示しています。
床面積364㎡。ほぼ三井邸と同じくらい。



まさにこの屋敷で暗殺されたって、、、。なかなか不気味ですね。



二階から見える庭の眺めはいいですねー。




先の三井邸もそうなのですが、家を移築しただけではなく、庭も再現
しているみたいです。企画者の執念を感じます。感服。



んー。高橋邸は、三井邸とうって変わって地味趣味。ガイドさんが、
高橋さんは三井さんほどお金持っていなかったと言ってましたが、
なるほどなという感じ。

で、どうかといえば、陰鬱でこれもヤダなぁ。

↑↑↑
お前はそういうことが言える身分か!?



あと1回ね。

東京建物探訪~江戸東京たてもの園~(その1)

2009-09-06 19:51:34 | 日帰りドライブ
Fukunosukeです。


今週末はいい天気でした。夏の名残りと秋の気配が入り混じって、
ドライブにはもってこいでした。



ドライブというには近場すぎるのですが、前から行ってみたかった
「江戸東京たてもの園」を訪れました。

ここは、江戸から昭和期にかけての建築物を移築保存し、一般に公開
している施設です。





あ、先に断っておきます。これが想像以上の
充実度だったので、何回かに分けて紹介します。





「田園調布の家」



1925年築の個人邸。田園調布にあったそうです。


のっけから恐縮ですが、僕の一番のお気に入りの
お家です。こういう家で、週末を過ごしたい。
そこの長椅子に寝転んで、日がな本を読みながら
過ごしたらいいだろうなー。外は、しとしと雨が
降っていたら最高です。

、、、あれ、僕、本なんか読んだかな(汗)??



台所。




お次は「前川邸」。hiyokoのお目当。



1942年の築。モダン! 大胆な造作のリビング。
洒落ています。これが戦中の建物ですか?




すごい!昔の電話機は、アールデコだったんだ!
全て交換手を経由するので、ダイヤルがないの
ですねー。



コンロは四つ口。



当時のものではないみたいですけど、いやあ、
洒落てます。




と、モダンな2軒に続いて、農家が出現。



うわぁ、痺れるなー、このかまど。これでご飯炊いたら、きっと美味しい
んだろうなー。


、、、でも、この家、いったい何人暮らしだったんだろう?



古道具は、何か物語を奏でているようです。




これは別の棟ですけれど、いい雰囲気ですよねぇ。



武相荘もそうでしたが、昔の農家は、襖を取っ
払うと、大きな広間になりますよねー。僕に
とっては、親戚がたくさん集まってワイワイ
やる、楽しいイメージ、記憶があります。



あ、でも、これら全て「東京」にあった建物なんですよねー。
今となっては信じられない。でもこうして現存しているなんて、
それ以上に感動。




その2へ続くよ。

武相荘

2009-07-08 22:00:51 | 日帰りドライブ
Fukunosukeです。



“ぶあいそう”、、、と聞けば、僕をを知っている人なら、「あぁ、Fukunosuke
自身のことね」って思うでしょうが、今日は違います。白洲夫妻が暮らした、
武相荘です。


かつて、白洲次郎さんは、「戦争に負けるであろう日本、その後は食糧難
必定。自給自足の道を開くため、農業を始めるべし」と言い放ち、この地に
あった農家を買って移住した、ということだそうですが、、、

今や、周囲は完全なニュータウン。ここが里山の田舎だった面影なんて、
露ほどもありません(この看板の横なんて、ユニクロですよ)。






それでも、屋敷の前まで来ると、途端に空気が
変わります。長屋門から、母屋を望む。




今は、夏の室礼のようです。建物内撮影不可なので、写真は撮れません
でしたが、団扇や浴衣、夏向きのガラス皿などが展示してありました。





母屋。大きな平屋のお家です。




(母屋のアップ)この中にも入れます。




農機具。芝刈り機等の洒落た機械も残されています。



僕、大変に驚いてしまったのですが、敷地全体の配置や母屋の作りが、
母方の田舎(茨城)の家と、何から何までよく似ているのです。
本当に、同じ大工が建てたのかと思うくらい。関東の農家は、どこでも
こういうつくりだったんでしょうか???




かと思うと、白洲夫妻の生活のディテールが、
そこここに。



次郎さんは工作好きとみえて、ライトスタンドやテーブルなど、
手作りのいろんな物が残されています。でも、なかなか微妙な
仕上がりのものもある。趣味とセンスの達人である正子夫人は、
次々出来上がる次郎作品を見て何を思っていたんでしょうね。

でもきっと、「作っては悦に入る次郎さんと、それを鷹揚に見守る
正子夫人」という構図があったんでしょうねー。何となく、二人の
関係が偲ばれます。ウチも似たようなもんだし。
(↑ 失礼! そりゃあ偉そうだ。何様のつもりよ!)



母屋の庭先には、たいそうな竹林。




奥の裏山のような所。軽井沢を彷彿とさせます。







「庭園」というように、造られた、手を入れられた感じではないのですが、
目を凝らすと、石仏や獅子像が所どころ潜んでいたり、余計な下草は
刈られていたり。

生前からこういう庭だったのかどうかはわかりませんが、“無作為の作為”
とでも言うような庭です。




廃屋だった農家を買い取って手直ししたとのことですが、どうすれば
こんなに洒落た住まい方ができるんでしょうか。






やっぱり、おばあちゃんの家とは、全然違うなぁ。




次郎さん、ジェームスディーンみたい。カキ氷の機械は、
実際に次郎さんが使っていたものだそうです。




『男が憧れる男と、女が憧れる女』世紀のカップル、
白洲次郎・正子夫妻が暮らした家、武相荘。

行く前は、なんと無しに、ストイックでヒリッとした
雰囲気のお屋敷かな、なんてイメージしていたの
ですが、意外にも、僕にとっては田舎のお家を
思い出す、ほっと懐かしい場所でした。




大山参り

2009-03-31 00:08:18 | 日帰りドライブ
Fukunosukeです。


「大山」というのは、丹沢山地東端の1200m程の山。「大山参り」と
いう落語にもあるように、古くは庶民の信仰&観光のメッカでした。

その大山に、hiyokoパパの同級生がやっている旅館があります。そこで
夕飯を食べてみようという事になり、3人でやって来ました。



ここは中腹のケーブルカーの乗り場。夕方なので、もうほとんど人が
いません。というか、誰も居ません(汗)。




土産物屋のシャッターも、ほとんど閉まってます。
(日の高いうちは、もう少し賑わうようですが)




水がきれいという事で、お豆腐なんかが名物。




「豆腐が名物!」って言っているのに、こんにゃく
なんか買ってみたりして、、、。


あ、“こんにゃく食べたい”って言ったのは僕でした、、、。





閑散として寂しいので、さっさとパパ友の旅館にやって来ました。
旅館といっても、今は老夫婦二人だけで切り盛りしています。





豆腐料理や猪鍋を出すお店や旅館が沢山あるのですが、ここは
普通の懐石風。なんと、パパ友の奥様がお一人で料理をなさる。











もちろん、高級旅館、料亭の懐石料理とはいかないですが、
これを全部奥様ひとりで作ったと思うと、深く感動。何より
心のこもった一品一品、ありがたくいただきました。



hiyokoパパとhiyokoパパ友。お達者ですねー。