明治維新の日本破壊その4、
日本人の「魂・徳性」を忘れて浅薄な「知識・技術」に走った。(「人間教育をわすれた明治の失敗」安岡正篤「・・明治・大正・昭和にかけての学校教育というものが残念ながら人間教育(人間の本質的要素である徳性も磨くこと)をお留守にしてしまった。専ら知識教育・技術教育になってしまったのであります。明治時代はまだ旧幕府以来の余徳でいわば先祖の財産で暮らせたように、それほど弱点を出さ . . . 本文を読む
一遍上人語録に「我体を捨て南無阿弥陀仏と独一なるを一心不乱とはいふなり。されば念念の称名は念仏が念仏を申すなり。・・・」というお言葉があります。
是を真言宗で捉えれば「我体を捨て南無大師遍照金剛と独一なるを一心不乱とはいふなり。されば念念の御宝号は御宝号が御宝号を申すなり。・・」となりましょうか。 . . . 本文を読む
理想の帝王・転輪聖王も圧倒的武力を有していたこと。仏典には理想の帝王として転輪聖王が描かれていますが転輪聖王も圧倒的武力を有していたことが書かれています。以下、佛教大辞典等に依ります。転輪聖王は中阿含経第13・15、増一阿含経第13・33・48、無量寿経巻上、大方便佛報恩経第2、悲華経第2、佛本行集経第1ないし5、・・大薩遮断尼乾子所説経第3、・・大智度論第4,24・・等々無数の仏典に説かれる理想 . . . 本文を読む
今日建長6年(1254年)1月28は、叡尊が聖徳太子講式を撰せられた日です。(西大寺文書)論文「聖徳太子をめぐる“絵”と“コトバ”と“儀礼”と」 によれば「現在確認できる「太子講式」 は以下の15種類が主である。 ・聖霊院太子講会式(五段講式)…四天王寺所伝;11世紀末~12世紀初成立・文明13(1481)写 。 . . . 本文を読む
沢庵禅師・・澤庵 宗彭は、臨済宗の僧。天正元年12月1日(1573年12月24日)に生まれ正保2年12月11日(1646年1月27日)入滅しています(ウキペデア)。紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いています。寛永十六年に三代将軍徳川家光の帰依を受け品川に東海寺を開き、その地で没しますが、遺偈に「夢」の一字を書いたといいます。沢庵禅師の歌に「闇の夜になかぬ烏の声聞け . . . 本文を読む
第二十七 護持十善章
(十善は仏性に順じた行動、十悪は仏性に背く行動。一切衆生本来各々仏性を具すといえども無明煩悩に覆われて十悪を造りて三界に入って徒に身心を苦める。若し一旦十悪をやめ十善を修する時は苦患自然に消え、福自ら至る。一切の仏法はこの十善があって初めて成り立つものである。随って密教でも入壇の時は必ず十善戒を授からなければならない。)
本業瓔珞経(菩薩瓔珞本業經)に「理 . . . 本文を読む
明治維新の日本破壊その3
南方熊楠は「神社合祀に関する意見」で、「神社合祀は、第一に敬神思想を薄うし、第二、民の和融を妨げ、第三、地方の凋落を来たし、第四、人情風俗を害し、第五、愛郷心と愛国心を減じ、第六、治安、民利を損じ、第七、史蹟、古伝を亡ぼし、第八、学術上貴重の天然紀念物を滅却す。 当局はかくまで百方に大害ある合祀を奨励して、一方には愛国心、敬神思想を鼓吹し、鋭意国家の日進を謀ると称す。何 . . . 本文を読む
日本紀略 / 治安元年(1021)正月廿八日甲辰条
「廿八日甲辰 臨時仁王会 為攘疾病也」
天皇は後一条天皇。臨時仁王会は恒例の春秋二季以外に修するもの。
日本紀略・寛仁四年1020 四月二十二日には 「此春、人民患疱瘡、…詔大赦天下、又免調庸徭役、依疱瘡疾疫」とあり一年前から疱瘡が大流行していた様子。ほか . . . 本文を読む
今日は九条兼実出家の日です。以下ウキぺデアに依ります。「兼実は、建仁2年(1202年)正月27日、法然を戒師として出家、円証と号した。兼実は将来を嘱望されていた長男・良通が早世した心痛等から、法然に深く帰依するようになった。法然の著作『選択本願念仏集』は兼実の求めに応じて、法然が著したものである。」 . . . 本文を読む
今日、貞観2年(860)1月27日は、越前国気比大神宮寺に10僧を置き定額寺とするよう詔が出た日です。(三代実録卷四に「貞觀二年(860)正月廿七日戊寅》○廿七日戊寅。詔。越前國氣比神宮寺置十僧爲定額。隨闕補之」とあります。 . . . 本文を読む
道元禅師は正治2年1月2日(1200年1月26日)にお生まれになりました。 曹洞宗の開祖。曹洞宗では高祖と尊称され建長5年8月28日(1253年9月22日))に入滅されました。諡号は、承陽大師。「坐禅するときはその時のそのままが仏であり、また修行と悟は同じである」という修証一如、只管打坐の禅を唱えられました。 . . . 本文を読む
第二十六 値遇密教章
(人身受けがたく仏法遇ひがたし。真言密教に遇うのは更に難しい。過去無量劫の間、無量の善根を積み重ねたるもののみが密教に触れることができている。)
夫れ人身は受けがたく仏法は遇ひがたし。真言密教に遇ふは亦更に愈々難し。過去無量劫の間、無量の善根を積み重ねたるものにあらずんばこの名字をも聞くこと能わず。大日経に「秘密主、大乗の宿習なく、未だかって真言乗の行を思惟せざる者は彼れ . . . 本文を読む
明治維新の日本破壊その2滝川政次郎『日本人の歴史』「・・廃仏毀釈は明治政府の犯した最大の罪悪であって日本社会における人心の頽廃、道義心の欠如はここに淵源を発している。仏教と絶縁した神道は原始信仰に戻らざるを得ないが、ドクトリンを持たない原始信仰は民俗学の対象とはなっても文明人の信仰とはなりえない。故に神仏の分離即ち信仰の喪失となって日本人はその人格の骨格を失い、道義心の基盤をなくしてしまった。明治 . . . 本文を読む
扶桑略記「永承七年1052 壬辰正月二十六日 」「千僧を大極殿に屈請し、観音経を転読せしむ。
去冬より、疾疫流行し改年已後も弥いよ以って熾盛なり。仍って其の災を除んが為也」
天皇は後冷泉天皇。永承七年は末法の始まりの年になっています。
疫病がおさまらず永承八年には天喜へ改元しています。
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