福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の8/9

2024-06-19 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の8/9

 

八、阿清房活(よみがえる)事。(今昔物語集巻十七備中国僧阿清衣地蔵助得活語 第十八にあり)

備中州窪屋郡大市の郷(岡山県都窪郡大市村)に住しける古老の僧あり。名をば阿清房と白しける。姓は百濟氏なり。是は紀寺(現在は璉珹寺と号し奈良市にある。行基創建の伝承があるが,実際は天智天皇のころ紀氏(きうじ)を檀越として飛鳥に創建され,平城遷都の後,左京五条七坊にあたる現在地に移転)の基勝律師入室の弟子なり。是天性修験の法を好み山林を栖家とし難行苦行を宗とす。或時天下に大疫起こり皆人半死門に入るにさるほどに阿清房本寺に皈り来りて彼の病を受け急に失せにける。弟子同門の輩も各々怖畏て皆逃げ去りけり。三日過ぎて忽然として蘇活ける。人心付て冥途の事を語りけるは獨り曠野に向かって行去に西北の方に巍巍たる楼門ありて大なる官舎あり。大殿の左右に各々一舎あり。左の一舎は秤量を置きて亡人の罪業の軽重品を縣く。右に一舎あり。亡人の姓名死生の定数を勘て筆録す。又殿の左秤量舎の前に高臺ありて臺の上に秤量幢あり。以て舎中の備を標幟す。今此の官舎臺は有情の業感所成の所なり。次に鏡臺あり。浄頗梨鏡の影を移して一生の作業明々として見えたり。かくして阿訪羅刹罪人を取りて秤の盤の上に置き罪を定めんとす。罪人陳ずるに處なく顔色を移し變る秤の量分明らかに過罪免るべからず。羅刹即ち罪人を取り下して勘録舎に傳へ送る。此の官舎は大殿の右の方なり。此の舎に於いて俱生神及び五道大神(中国民間の神の名。本来,仏教の五道すなわち天道・人道・餓鬼道・畜生道・地獄道を守護する神であったが,のちに中国化して,天下を巡行し人々の善悪を調べる冥界の役人,さらに死者の魂を城隍爺(じようこうや)(城隍廟のもとに護送する神)等の簿を開て悉く因果を考へ定む。其々に地獄の苦を受るに究泣哀む聲は太山(山東省中部にある名山。標高1524メートル。中国五岳の一。古来信仰の対象となり、秦・漢時代から皇帝が封禅(ほうぜん)の儀式を行った所。玉皇廟など古跡が多い)も崩るばかり怖ろしとも云ふはかりなし。此の憂目に値ふべきかと四方を見遣れども助言すべきもの塵ばかりもなし。爰に小僧一人忽然として来たり玉ひしが、手に錫杖を執り一巻の書を捧げ東西に走り南北に訴詔を為玉ふ。又童子一人侍し従ふ。阿清房童子に問て曰く、彼の小僧は誰とか為る。答て曰く、汝未知哉。是は大悲地蔵薩埵なりと。阿清大きに恭敬の念を為し伏して願はくは我が苦患を抜済し玉へと白しければ、小僧の曰く、汝此の處を出ん事今に當れりとて阿清を引て彼の官舎に至りて曰く、此の僧は外以て難苦の行をなし内以て三身即一観を凝らし真に如法の行人なり。口に神呪を断たず、手に密印を傳ふ。されども假に業鬼の為に牽れて此の境に来たれり。早く許し本土に皈されよとぞ申し玉ひ、尚彼の僧の往年の善作の記文此にありとて懐中より一巻の書を取り出し玉ひ官舎の記録と校合あるべしとの玉へば、冥官の曰く、彼の僧善悪の業ともに菩薩に譲り奉る。今度は勘へ定むるに及ぶべからずとて、地蔵に渡し奉り申さる。小僧喜んで阿清房が手を引て官所を出て誡めて曰く、汝早く旧里に皈りて善業を修し肯て諸悪を作すこと莫れと云て、你(なんじ)二度と此の門に来るべからず、恐るべし怖る應しと曰て窓より推出し玉ふ、と思ひければ即ち蘇生しけり。其の後、人に向て委く此の事を語ると一入徧身より汗を流すなるが聞く人怖れを成せり。

 

 

 

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