福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大安寺沙門審祥伝

2024-01-31 | 諸経

本朝高僧傳「和州大安寺沙門審祥傳」

釈審祥は新羅の人なり。此の国に観光し師を尋ね法を求む。又入唐し賢首國師に従ひ華厳を傳ふ。還りて大安寺に居し光を鏟し衆に混はる。東大寺良辨華厳宗を興す。一昔夢に紫衣青裾を著し、僧告げて曰く「大教を弘めんと欲す、當に厳智師を請じ不空羂索観音前に於いて開演すべし」と。時に元興寺に厳智師あり。審祥、宗乗を包蘊す。是れ即ち香象大師の上足真厳智師なり。往きて此の師を請す。辨、大安を抵し三請すれども起きず。因りて闕において聞く。皇帝乃ち請す。天平十二年臘月十八日金鐘道場に於いて大乗華厳獅子吼経を始講す。是に於いて都下十六員名匠畿内學賓巻を持し座に拠す。開題の日、帝卿僚を率ひて寺を幸ね法を聞く。祥、無礙の辨玅を振ひ、解きて神に入る。紫雲一片降りて春日山を覆ふ。見る者歎異す。皇情大悦し綵帛一千餘匹を賜ふ。太上皇后及び公卿已下檀しん供給填委羅陳、慈刻・鏡忍・圓証の三大徳を勑し覆師と為す。歳二十巻を講じ三年功を畢る。此に依りて専ら華厳を弘む。良辨を首と為す弟子益々多し。十四年壬午を以て所在に於いて終る。世齢法臘不詳。禅師のこと國史及び釈書に載せず。今凝然の記に拠りて以て傳を立つ。

賛して曰く、華厳は如来初めて成道の圓頓大乗経也。理深く事広し。登地の人非ず。以て其の奥に達する無し。祥師親しく康蔵國師を見る。真理を傳へて帰る。弘宣時を得たり。龍象囲聖主臨光神明瑞を理す。宿世根熟の大士に非ず自り祥師を以て初祖と為す也。」

(審祥は奈良時代の日本華厳宗の祖。新羅国の人とか新羅留学生とかいわれます。唐の法蔵について華厳を学び日本に来り大安寺に住した。東大寺良弁の請によって金鐘道場(東大寺法華堂)で六十華厳経を講じた。聖武天皇の庇護を受け、華厳宗を弘め、良弁など多くの弟子を得た。)

 

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