福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

昨日21日に高野山をお参りしました。

2016-12-22 | 講員の活動等ご紹介
21日は今年最後のお大師様の日だったので高野山のお参りさせていただきました。
いつもはあさ4時過ぎに奥の院におまいりするのですが冬は暗くて師僧等の墓地への道が分からないので今回は5時過ぎにお参りしました。それでも一の橋からすぐの参道には灯篭の火がなくて真っ暗で手探りで進みました。途中汗かき地蔵様のあたりの灯篭の火は私が通り過ぎると途端に消えてここも真っ暗となりすり足で進まざるを得ないようになりました。それでもまったく不安は感じません。以前奥の院の維那さまが「奥の院はお墓が多く怖いでしょうといわれますが、お大師様のおひざ元でお墓の主もお大師様に抱かれて眠っているのですからこわいどころかこんな有難いところはないのですよ。」とおっしゃっているのを聞いたことがあります。
御廟前にはすでに三、四名、遍路装束の人などが熱心に般若心経をお唱えしていました。離れたところにすわりましたが、手がかじかんでともすれば経本を落としそうになります。理趣経を2回あげました。すると後ろの灯篭堂から前讃が聞こえてきます。灯篭堂を覗くと灯篭堂の若い僧侶の方々が一斉に理趣経を唱えておられます。私も端に立って一緒にお唱えさせていただきました。
このとき、お大師様から「人の機根にあった、もっときめ細かい布教をせよ」「末世では懺悔も利他行もできない機根の劣る者が多いが、こういう機根の劣る者には、儀軌にのっとた先祖供養をさせよ」とお諭があったような気がしました。胸に刻んだ次第です。
9時に再度お参りしましたが、この時丁度毎月21日のお大師様の日に行われるという
月並御影供を拝することができました。前後讃、唱礼、中曲理趣経など微音で一緒にお唱えさせていただき本当にありがたいお参りでした。
帰りの参道からは杉木立の間から青空が見え、以前にも感じた「三時をこえたる如来の時」という大日経の言葉が浮かんできました。
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