第十七 高祖誓願章
我等今この人界に生れ来たれども、前身は未だいかなる形にてありしと云ことを知らず。去て冥路に入らんと欲すれば、後生亦いかなる果報ぞや。久しく眼前の妄境に迷ひ、徒に夢中の名利に走りて、三業四威儀、常に悪趣の業因を造らずと云ことなし。悲しひかな、生死の海漫漫たり、哀れなるかな得度の船、誰をか憑まん。ここに有縁の聖者ましませり。其御名を遍照金剛と申し奉る。特に四蔵の教益に漏れたる悪趣の衆生を助けんが為に、華台の樂を捨てて、利生の門に出で給ひ、専ら真言密教を弘通して、終に肉親を此土に留め給ふ。其御誓願に曰く「虚空盡き、衆生盡き、涅槃盡きなば吾願も盡きなん」と。かくの如き大誓願を発し給ひ、二佛中間の我等をば、必ず済度し盡さんと、遠く龍華三会の暁まで、入定留身し給ひて、抜苦は軽重を問はず、與樂は親疎を論ぜず、斉しく助け給ふの御誓願なれば、末世の衆生、自他共は真言念誦を励まし、値遇の勝縁を仰ぎ、往生浄土すべきなり。
第十八 正御影供章
毎年三月二十一日は高祖大師御入定の正忌なれば、吾宗に於ては例供として、慇重に法楽を捧げ奉る。是を正御影供と称す。特にそのかみ、延喜の帝、永世の恒規として勤むべきの詔を下し給ひし所の法会なり。されば本寺本山は申すに及ばず、存存処処の寺院を始め、在家男女の輩に至るまで、前七箇日の間、殊に香華を供し、知恩報恩の誠を竭すべし。そもそもいろはの仮字を作りて、貴賎古今に亘り、廣く利益を施し給ひしを始め、最上無比の真言密教を此土に弘通して、鎮護國家の巨益を施し、往生成佛の大利を得させしめたまふこと、是れ皆高祖大師の御恩徳に非ずといふことなし。恩を受け恩を知らざる者は禽獣に等しと。佛も誡め給へる所なれば、老若男女の差別なく、七箇日の間、法筵に列り、高祖大師の御影前にて、各々報恩の誠を効し、我身の罪業を発露し奉り、不信の者は信心を發し、未安心の者は安心を決定し、信者は益々信心を堅固に致すべし。かくの如く勤むるを報恩謝徳の本意とす。而して其上は各々能く真俗二諦相互相成の宗意を領解して、外には十善の大道を履行ひ、内には如来加持の本誓を仰信し、後に列ぬる五箇の條目をも堅く相守り、名聞利養を打捨て、偏に後生善提を祈り、真言念誦を励ます。是を真実の真言の行者と申すべきなり。
第十九 大師恩徳章
つらつら高祖大師の御入定を顧みれば、既に千有余年の古、又出定期限を数ふれば、五十六億遥かなり。然りと雖、悲願深重なれば、日々微雲管の裡より、末世行者の信否を鑑み給ふが故に、三業の浄心信を凝らせば、在世に異なることなく、二世の勝益に預るのみならず、彼の諸佛の方便に漏れたる無佛世界の衆生までも、余さず助けんが為に、金剛不壊の定身を此土に留め給ひ、日々処々の遺跡に分身散影して、無窮の応用を垂れ給ふ。是故に御誓願の言葉にも「我後生の門徒、縦ひ我現相を見ずと雖も、我形相を見る毎に、真相の想を生し、我教を聞く毎に我言音の思いに住せば、定慧力を以て摂取して捨てず」とのたまへり。されば今我等仮令一句の法音を聞くも、祖師言音の思いをなし、尊像に向ひては、真相を拝し奉るの想に住して、真言念誦相続すれば、摂取の利益に預り有縁の浄土に往生せんこと疑なしと、深く信ずべきなり。{続}
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