福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 3/14巻の7/7

2024-07-13 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 3/14巻の7/7

七、病を治す利益。

中古鎮西赤間の関に包政(かねまさ)と云ふ有徳の人あり。今生の栄花を究め何に乏しきことなし。されば忍土の習ひに喜の中に憂ありて此の人万(よろず)の食事に哽塞りて咽を閉じる病あり。良医に任して治を求め灸事を尽くし湯治針功手を尽くして減なし、或は修験の行者について三密加持を借り、貴僧を請じて讀誦經典の功を積みけれども益なく神前に幣を奉じ誣(かんなぎ)に依て神託を伺ひ、又鬼神を祭て霊魂を崇めなんどしけれども重て更に軽きことなし。一向有財餓鬼の報を得て人中の交わりもよしなし、思はざる遁世の境界にぞありき。されば年来安置の木像の地蔵尊ありけるに香花燈明を供して一心に白しけるは我等何なる宿因の招所、此の病を受けてはかなくも世を果たさん、七珍の重き宝も由無く万宝の豊も詮無し。受け難き人身なれば假令(たとひ)箪瓢屡ば空く(「五柳先生伝(陶淵明)「箪瓢屡しば空しきも 晏如也」)陋巷のいやしきに居るとも此の病を除き玉ふ方便を垂玉へ。若し宿業重して轉じがたくあらば保命を縮めて當来の引接を懇ろに示し玉へと又になくぞ祈られき。餘りの荒行を成して三七日の断食にて祈求しけるが、不覚に息絶けり。然るに終に見もせざる沙門の包政の枕頭に指寄りて、汝が祈るところ理なり。さりながら汝が憂全く病にあらず。宿業を果たすなり。唯懺悔の法を修して宿業をつぐのふべし。汝前世に関守たりし僧を免(ゆる)して透(とお)し奉る功力、今富裕を得たり。往来の人の賃を貪るの果、今咽塞がれり。凢そ此の道は大路人民往来して事を遂ぐ。若し関を置き通を塞がば何を以て此の身を成さんや。されば人多く住るを里と云ふ。里の多きを國と名付けたり。若し通往の人なく道たへば何をか國と云べき。且亦人は食を以て命とせり。胸中咽は食の通路なり。汝関にして容易(たやすく)人を通さざるの報しるべし。是を恐怖して三宝に皈依せば何の憂もあるべからず。當来の事は此の僧に任せよとの玉ふと思へば生活(いきかえ)りけり。此の由を語りて所詮家財資具は一身の荘厳なり。牛馬従類共に以て己身の資儲なれば捨財法施して懺悔の法をぞ行はんとぞ思ひける。まこと凢僧の教化なりとも真如にあたらば目出たきことならん。況や是れ佛の直指なるをや。尤とぞ所従もともに感じける。かくして或教院に入て志の旨を白しければ住僧白し玉ふは、不測のことかな、愚僧今夜夢に沙門来たりて我に告げ玉はく、明日善功を談じ来る人あらん、能く教示せよ。我は即ち其の人の家に住む法師なりとぞ仰せけるが何なる佛か安じ玉ふぞやと問ければ、委曲に話りければ、疑ひなき地蔵の護念にあずかり玉ふぞやと、香衣の袖を潤されける。凢そ諸佛の本誓区々なれども唯衆生抜苦の方(をたて)のみなり。諸經の説相異なれども一に成等正覚の因縁なり。何に勝劣なかるべし。機に當って如来の違勅を受けて利衆生濃やかなるは地蔵尊是なり。譏(そしり)ても逆縁として利し玉へり。諸經の中に値直三千大千世界と説きて妙功勝れ玉ふは法花經なり(妙法蓮華経提婆達多品第十二「爾の時に龍女一つの宝珠あり、価直三千大千世界なり。持って以て仏に上る」)。此の經の布施には三千世界の直(あたい)も足ることなしとなり。凢そ悲田恩田敬田(優婆塞戒經供養三寶品第十七「善男子。世間福田凡有三種。一報恩田。二功徳田。三貧窮田。報恩田者。所謂父母師長和上。功徳田者。從得煖法乃至得阿耨多羅三藐三菩提。貧窮田者。一切窮苦困厄之人」。大乘理趣六波羅蜜多經「復次慈氏有二種田云何爲二。一者悲田謂諸孤露貧窮困苦。二者敬田謂佛法僧父母師長」。四分律行事鈔資持記「田有三種。三寶爲敬田。父母爲恩田。貧病爲悲田」)の三種の供養をなし玉ふべし。貧窮困厄の者に財施するは悲なり。父母師長等の恩を報謝する恩なり。三宝の中にをいて皈敬するは敬田なり。大躰此の心を以て供養法施せられよと、こまかに説きて示されき。彼の俗よろこび六根懺悔の法

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwj7iNTexMqFAxXnla8BHceDDa8QFnoECBEQAQ&url=http%3A%2F%2Fwww.chohoji.or.jp%2FTENDAI%2Fhuroku1%2F10.txt&usg=AOvVaw3gM-wQUNYYTwUgCkTooqP9&opi=89978449

を修して金字の法華百部書きて供養し導師の僧に厚く御布施す。其の後、赤間の関を通るもの貴賤を嫌はず悉く財施しける。財宝皆尽きけれども而も貧道をもあらはすことなし。其の后は夢の告げもなかりけれども何ともなく咽の憂苦癒てんける。利生の程こそありがたけれ。されば經に曰、或ひは医王の身を現じ、或いは薬草身を現じ玉ふとあれば何の重病か癒へざらんや。唯不信の病を退けて真實無妄の心行を成して祈求し玉ふべし。響の音に應じ影の形に従はざることなきよりも感應速やかなるべきなり。信じて猶信ずべき哉。

 

 

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