福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は印融法印遷化の日です

2024-08-15 | 法話

印融は永正十六年1519・八月十五日85歳で三会寺にて遷化されています。横浜市緑区観護寺にある印融法印の墓には「横浜市地域史跡。印融法印墓。印融法印(1435~1519)は中世の学僧で現在の三保町の生まれといわれる。「神奈川県史」によれば小机烏山の三会寺で伝法を受け、高野山で研鑽を積み無量光院の院主となった。晩年にいたり関東における真言宗の衰退を嘆き長保二年(1488)頃より関東に帰り三会寺や金沢光徳寺等に住して真言宗の復興に努めた。永正十六年(1519)八月十五日観護寺で没したという。85歳。生来書を好み外出する時は鞍に小机をつけた子牛に乗りながら仏典を読んだという。(五輪塔の一番下の)地輪に「永正十六年己卯季 印融法印 八月十五日」とある。」と書かれています。
密教辞典には「・・・長禄年間三会寺賢継に醍醐流を受け、また能禅方の秘奥を長円・円鎮に受け、後に高野山に住んで無量光院を継ぎ、著述に専念したが、晩年に関東密教の衰微を憂えて武蔵烏山三会寺に住して宗風を広めた。外出するには牛に文箱をつけて乗り、一刻も書物を離さない為、道俗の帰依するもの多く、関東八宗の60余の談林では師の肖像を掲げて毎年供養する。・・著書甚だ多く、『杣保隠遁鈔』(せんぼいんとんしょう)20巻、釈論指南鈔、大疏指南鈔、釈論愚案鈔、釈論安養鈔、・・・両部曼荼羅私鈔、諸尊表白集など事相教相に亘る著述である。」とあります。私も以前三会寺で印融法印様に関する書物をいただきましたがいま紛失してしまっています。惜しいことをしました。しかし「諸尊表白集」はもっておりときどき開いております。

野峰名徳集に「印融。武州久保の人也。神鋒澗利、器格卓犖、教文耳に経るや目を閲じて咸く通誦す。邦郡師範と為すに足る無し。是において裳を裂き足を裏して屣を振ひ、而して遠く此の山に昇り、明師を討ね、講門に遊ぶ。精究兀兀、盛烈夙一時に蓋す。無量光院に入住し講筵を肆(つらね)る。玄津弘流、日夕勉勗、究年不撓、事教の間、理致微茫之所、即ち揮毫辨折す、淵曲洞明、老後、關佐 密乗の不振を患ひて而して東遊す。武陽烏山三会寺に止宿し、化を闡ひらく。」

印融法印の時世の歌

高野春秋に「(永正十六年)秋は八月十五日夜、印融闍梨、武州烏山観護寺(また三會寺)に入寂。融師とは武州久保の人也。幼若に登山。事教業成。無量光院に入る。開講撓はず。議論玄に入る。筆記勝計すべからず。晩年関東に遊説。談林を興し論場を創る。平生書籍を捨てず、恒に烏山三會寺に居し時々隣里他山講義の毎に小牛に乗る。而して其の牛角に巻帙を架し行々熟覧焉。辞世歌に曰く「生まるるも阿字(梵字)より来れば死ぬとても本の不生に帰りこそすれ」。

 

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