地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の15/22
十五、 地蔵看病し給事
鎌倉に真観法師(鎌倉時代末期から南北朝時代。時宗四条派の祖。後伏見上皇の女御広義門院藤原寧子の安産を願って霊験があり、後の北朝初代光厳天皇が誕生。鎌倉極楽寺の忍性に密教,紀伊興国寺の心地覚心に禅法を学んでいる)とて密宗の明匠あり。歳八旬に及びければ壮年の俊傑のありしを弟子秘法をも傳授し印信をも許さんと思ひけれども十 . . . 本文を読む
今日は清和開拓団事件の起こった日です
清和開拓団事件碑
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裏面碑文昭和十三年当時の我が国重要国策たる第七次集団移民として同年三月三十日我等同志は故郷新潟県から雄躍満州国虎林県清和地区に入植爾来孜孜営営として開拓に従事すること七年間昭和二十年三月には一九五戸八一〇名(うち成年男 . . . 本文を読む
1945年(昭和20年)8月27日、ソ連国境に接する黒竜江省東部の七台河市郊外にある佐渡開拓団農場跡地に、清和開拓団、萬金山高社郷、尖山更級郷、東索林埴科郷、東横林南信濃、南哈馬笠間、共哈知阿知郷の七つの開拓団がたどり着いていたがソ連兵の攻撃を受け、開拓団の男たちはソ連軍戦車隊に玉砕突撃して950人が死亡。女たちは子どもをつれて514人が自決し、わずか18人しか生き残らなかったと . . . 本文を読む
今日は貝原益軒の没した日です。以下人物逸話辞典等に依ります。「貝原益軒。儒者、また博物学者。名は篤信、字は子誡、久兵衛と称す。・・福岡黒田候の臣。正徳四年1714八月二十七日没す。年八十五。一生の著述極めて多く、著述を通しての偉大な社会教育家であったとも見ることが出来る。」「貝原益軒は平生はいかにも穏やかで仁愛が深く身を持つことが確実・貞信だったそうで、その仮名書きの書物を多く出版せられたのは何と . . . 本文を読む