その後、弘法大師の時に至り、即位灌頂が出てきます。慈雲尊者「『四海領掌大事』口伝」の内容を記述します。「先師曰く弘法大師弘仁七年六月十九日、上表七月八日、勅許を得て高野山を以て入定のところとし、一棟の草庵を作り、高雄の旧居を去ってここに移り入て住す。時に弘仁十四年(824年)七月嵯峨上皇勅して大師を召し、高雄より暫く中務省に寓す。時々御物語あり、ある夜近習を避けて大師一人を御座近く召して曰く『師遠 . . . 本文を読む
「お前さんは立派な偉いお坊さんになろうなどど大層なことを思わなくてもよい。しかしせっかく良き御縁をいただいてお坊さんになるのだからお前さんの近くにいる人を本当に幸せにしてあげなさい。(「法光」に出ていた清見寺一條文昭和師の言葉)」。まさにこれをよんで自分に向けられている言葉と思わずにはいられませんでした。自分も身の回りの人を一人でも多く幸せにできたらとおもい毎日縁者のある方々を祈っています。しかし . . . 本文を読む
Q,法華経は宮沢賢治をはじめなぜ多くの人が重要視しているのですか?
A,奈良時代法華経は金光明経、仁王経とともに鎮護国家の三経と呼ばれ、法華千部会、法華三昧会、法華八講など、さかんに講讃され、また書写もされてきました。平安時代になると源氏物語にも法華八講などが描かれ源氏物語は法華経の小説化であるとも言われているようです。枕草子にも 「経は法華経さらなり」とあります。
法華経の重要性については、 . . . 本文を読む