弘仁十四年823四月二十四日は大師(50歳)が「天長皇帝の即位を賀したてまつる表」をお書きになった日です。大師は天皇陛下とも近しい関係であられましたが、当然満濃池や四国88所の開創など庶民の救済にも大尽力されています。現代人は権力に近ずくのをよしとしませんが、大師は密厳国土の創出・庶民救済のためにも天皇とも近しい関係となられています。「天長皇帝の即位を賀したてまつる表沙門空海言す。空海聞く、四序代 . . . 本文を読む
今日は大師が祈雨の功績により小僧都に任命された日です。・東寺長者補任「天長元年824長者空海三月二十六日甲戌、依祈雨賞直任小僧都年五十一。」(御遺告にはこの間の消息を以下のように記されています。「亦た神泉薗池邊に御願に修法して祈雨するに靈驗其れ明かなり。上は殿上より下は四元(庶民)に至れり。此池に龍王有り。善如と名く。元是れ無熱達池の龍王の類なり。慈有って人の爲に害心を至さず。何を以てか之を知る。 . . . 本文を読む
今日は大師が二十五か条の御遺告を作成された日です.大師二十五箇条の御遺告「諸弟子等に遺告す東寺眞言宗家後世内外事を勤め護るべき管、合して貳拾伍條の状竊に以んみれば大法味同じけれども興廢機に任せたり。師資累代、付法、人に在り。鷲峯の視聽は傳へて中洲(インド各地)に流れ、鐵塔の傳教(密教)、烏卯に利見す(早く流れた)。流を探り源を尋ね、晃鑒本討(光をかんがみて、もとをたずぬ)。大唐の曲成に既に血脈あり . . . 本文を読む
天長二年三月五日は東寺にて真雅僧正に大師が「天長の大事」(金剛・胎蔵の両部阿闍梨位印信を授与された日です(三宝院文書)両部阿闍梨位印信について「「御入定大事」の研究・森田龍僊」では、「両部大阿闍梨位印、又は天長印信ともいひ、『天 長 二年 乙巳三月五日、於東寺眞雅大法師傳之』 と の奥書ある大師親筆の印信なりとして、諸流には大抵これを傳ふる。 就中、地藏院覚雄方や安流なぞは特に秘重 するものである . . . 本文を読む
今日天長五年二月二十七日は大師が「伴按察平章事が陸府に赴くに贈る詩」をお作りになった日です。((日本後記・天長五年二月に)「甲寅,賜鎮東按察使-伴朝臣-國道餞.有御製.賜衣被及雜珍玩物」とあり。)「伴按察平章事が陸府に赴くに贈る詩」夫れ膚寸(雲)南北に心なけれども風に遭ふときは則ち飛ぶ。順の徳なり(命令にしたがう徳)。人臣東西に心なけれども命を銜ふくむときは則ち馳す。忠の至りなり。蕞爾たる毛夷(さ . . . 本文を読む
亡弟子智泉の為の達嚫の文「それ寥廓たる性虚は諸因を離れて凝然なり。飄蕩たる染海は衆縁に随ってもって起滅す。故によく一念の妄風は波濤を心壑に鼓ち、十二の因縁は生死を迷夢に化す。識幻三有の獄に構へ、色焔六趣の野に逸す。つひに無明の羅刹は亀鶴の命を斫り、異滅の旃陀は蜉蝣の体を殺す。たちまちになく、たちまちにあることすでに浮雲のごとし。たちまちに顕れたちまちに隠るること還って泡沫に似たり。天・獄の県に苦楽 . . . 本文を読む
今日承和元年二月十一日は大師が鑑真和上の高弟如宝の為に達嚫をかかれて供養された日です。「招提寺の達嚫の文それ念風(無明煩悩)一度吹けば識海波濤し、覚月たちまちに飛んで智山崛不吻(くつふつ)たり(師の教えにより覚りの山が聳える)。心暗きときはすなわち遇うところことごとく禍なり。眼明らかなれば途に触れて皆宝なり。如来はこれを覚って万徳の殿に優遊し、衆生はこれに迷って三途の獄に沈淪す。沈迷の端、驚かずん . . . 本文を読む
承和元年2月11日は大師が唐招提寺噠噺を撰せられた日です。高野大師御広傳・続性霊集に「夫れ念風一扇すれば識海波濤し、覚月乍ち飛べば智山崛吻たり、心暗きときは即ち遇うところ悉く禍なり、眼明らかなれば則ち途に触れて皆宝なり、如来はこれを覚りたまひ万徳の殿に悠遊し、衆生は之に迷ひ三途の獄に沈淪す。沈迷の、驚かずんばあるべからず、昇悟の機仰がざるべからず、この故に我が大師薄伽梵よくこの趣を説いて一子を提制 . . . 本文を読む
「古今著聞集 能書第八」
「大内十二門の額、南面三門は弘法大師、西面三門は大内記小野美材、北面三門は但馬守橘逸勢をのをの勅をうけ給て垂露の点をくたしけり。東面三門は嵯峨天皇かかせをはしましける也(注1)。実にや道風朝臣、大師のかかせ給たる額をみて難していひける、美福門は田広し、朱雀門は米雀門と略頌につくりてあさけり侍ける程に、やかて中風して手わななきて手跡も異様に成にけり。かかるためしをそれられ . . . 本文を読む
大同元年一月十七日大師は弟子を代表して恵果和上の碑文を作成されました。(大師年譜)大唐神都青龍寺故三朝國師灌頂阿闍梨耶恵果和上之碑 日本國學法弟子 苾蒭空海撰文并書俗之貴ぶ所者五常、道之所重者三明。惟忠惟孝。聲を金版に彫る(名声を彫って伝える)。其徳天の如く、盍んぞ石室に蔵めざらん乎。甞試に之を論ずるに不滅者法也。不墜者人也。其法誰ら覺する、其人何在る。乎爰に神都青龍寺東塔院大阿闍梨法諱恵果和尚者 . . . 本文を読む
今日承和二年(八三五)一月八日は宮中真言院にて後七日御修法が初めて修せられた日です。(「東寺長者補任」に「大僧都空海、詔命を奉り中務省において 初めて後七日法を修す。年六十一歳(これは62歳の間違い)。此の間、勘解由司庁を請申して堂舎を結構し、仏像を造立す。年中行事僧衆威儀皆悉く青龍寺の風を移す。」とあります。)これは承和元年(八三四)十二月十九日の大師の「宮中真言院の正月の御修法の奏状」により行 . . . 本文を読む
今日は大師が真然大徳に即身成仏の印明を授けられた日
「弘法大師弟子譜、金剛峯寺第二世僧正真然傳」に「‥(承和元年)十二月十三日、大師、修法の次に、師に授るに即身成仏の秘文を以てす。其の地、之れ影堂なり。」 . . . 本文を読む
今日は大師が真然大徳に即身成仏の印明を授けられた日
「弘法大師弟子譜、金剛峯寺第二世僧正真然傳」に「‥(承和元年)十二月十三日、大師、修法の次に、師に授るに即身成仏の秘文を以てす。其の地、之れ影堂なり。」 . . . 本文を読む