○ブラームス 交響曲第2番
放送録音1種とライヴ録音3種の4種があります。
(1) RIAS交響楽団 1953年10月13日(放送録音、audite)(M)
(2) スイス・ロマンド管弦楽団 1958年2月12日(ライヴ録音、OSR)(M)
(3) バイエルン州立管弦楽団 1958年5月12日(ライヴ録音)(M)
ア DISQUES REFRAIN盤
イ En Larmes盤
(4) ウィーン・フィル 1961年8月27日(ライヴ録音)(M)
ア DG盤
イ DeAGOSTINI盤(ジャケット写真なし)
演奏時間
(1) Ⅰ 14’29 Ⅱ 9’01 Ⅲ 5’19 Ⅳ 8’30
(2) Ⅰ 14’44 Ⅱ 8’48 Ⅲ 5’34 Ⅳ 8’31
(3) Ⅰ 15’08 Ⅱ 9’39 Ⅲ 5’40 Ⅳ 8’44
(4) Ⅰ 15’53 Ⅱ 9’44 Ⅲ 6’05 Ⅳ 9’25
演奏について
第2交響曲は、フリッチャイがブラームスの交響曲の中で最も好んで演奏した曲です。現在4つの演奏が商品化されていますが、その中でウィーン・フィルと共演した(4)が(1)、(2)、(3)より数ランク上の演奏と思います。
この演奏は、1961年のザルツブルク音楽祭で上演した「イドメネオ」の好評により追加公演されたときのものです。
その年の10月にはウィーン・フィルの定期演奏会に初めて招かれ同曲を演奏していますが、音楽評論家のカール・レーブルは、このときの演奏について「フリッチャイは、作品を細かすぎるほど入念に表現し多彩なニュアンスに緻密な注意を払うことが、決して“客観性”という決まり文句で説明される冷徹な音楽を生み出すわけではないことを証明した。音楽的に細部を厳密に作り上げるという意味では彼は客観的な指揮者であるが、そうした細部を緊張感のある交響形式へとまとめあげるという点ではロマン主義者である」(「フェレンツ・フリッチャイ 理想の音楽を追い続けて」)と評しています。「客観」と「主観」という相反する要素を見事に融和させた名演といえるのではないかと思います。
特に終楽章が素晴らしいと思います。始まってすぐ全合奏になるときのぴったし決まっているところや、コーダのでの爆走感など申し分ありません。
(2)と(3)は演奏時期が近いことから似たような演奏です。(3)はバイエルン州立管弦楽団のしっとりした弦楽器が魅力です。(2)、(3)、(4)は終楽章の第2主題でテンポを若干落としていますが、(1)ではテンポを変えていません。
その(1)は、全体的に几帳面な演奏と思います。演奏の精度は(2)、(3)より高いと思いますが、先に触れたテンポの変化など(2)、(3)のほうが聴きごたえがあると思います。
なお、昨年発売されたフリッチャイの本「Dirigent als Musiker」と他の情報をかねあわせると、1958年2月にラムルー管弦楽団と同曲を録音したことが推定されます。(その録音が今も存在するのか、また商品化されるのかは不明です)
(3)の音質等について
それほど差異はないと思います。
(4)の音質等について
アは3楽章の終わりのところで、電気的なノイズが入っています。イはイタリアのDeAGOSTINIがザルツブルク音楽祭の演奏のCDをシリーズにしたものの1枚(同日に演奏されたガランタ舞曲とカップリング)で、一時、YouTubeに投稿されていました。(残念ながら手に入れることができませんでした)そしてアのその部分のノイズがうまくカットされています。
放送録音1種とライヴ録音3種の4種があります。
(1) RIAS交響楽団 1953年10月13日(放送録音、audite)(M)
(2) スイス・ロマンド管弦楽団 1958年2月12日(ライヴ録音、OSR)(M)
(3) バイエルン州立管弦楽団 1958年5月12日(ライヴ録音)(M)
ア DISQUES REFRAIN盤
イ En Larmes盤
(4) ウィーン・フィル 1961年8月27日(ライヴ録音)(M)
ア DG盤
イ DeAGOSTINI盤(ジャケット写真なし)
演奏時間
(1) Ⅰ 14’29 Ⅱ 9’01 Ⅲ 5’19 Ⅳ 8’30
(2) Ⅰ 14’44 Ⅱ 8’48 Ⅲ 5’34 Ⅳ 8’31
(3) Ⅰ 15’08 Ⅱ 9’39 Ⅲ 5’40 Ⅳ 8’44
(4) Ⅰ 15’53 Ⅱ 9’44 Ⅲ 6’05 Ⅳ 9’25
演奏について
第2交響曲は、フリッチャイがブラームスの交響曲の中で最も好んで演奏した曲です。現在4つの演奏が商品化されていますが、その中でウィーン・フィルと共演した(4)が(1)、(2)、(3)より数ランク上の演奏と思います。
この演奏は、1961年のザルツブルク音楽祭で上演した「イドメネオ」の好評により追加公演されたときのものです。
その年の10月にはウィーン・フィルの定期演奏会に初めて招かれ同曲を演奏していますが、音楽評論家のカール・レーブルは、このときの演奏について「フリッチャイは、作品を細かすぎるほど入念に表現し多彩なニュアンスに緻密な注意を払うことが、決して“客観性”という決まり文句で説明される冷徹な音楽を生み出すわけではないことを証明した。音楽的に細部を厳密に作り上げるという意味では彼は客観的な指揮者であるが、そうした細部を緊張感のある交響形式へとまとめあげるという点ではロマン主義者である」(「フェレンツ・フリッチャイ 理想の音楽を追い続けて」)と評しています。「客観」と「主観」という相反する要素を見事に融和させた名演といえるのではないかと思います。
特に終楽章が素晴らしいと思います。始まってすぐ全合奏になるときのぴったし決まっているところや、コーダのでの爆走感など申し分ありません。
(2)と(3)は演奏時期が近いことから似たような演奏です。(3)はバイエルン州立管弦楽団のしっとりした弦楽器が魅力です。(2)、(3)、(4)は終楽章の第2主題でテンポを若干落としていますが、(1)ではテンポを変えていません。
その(1)は、全体的に几帳面な演奏と思います。演奏の精度は(2)、(3)より高いと思いますが、先に触れたテンポの変化など(2)、(3)のほうが聴きごたえがあると思います。
なお、昨年発売されたフリッチャイの本「Dirigent als Musiker」と他の情報をかねあわせると、1958年2月にラムルー管弦楽団と同曲を録音したことが推定されます。(その録音が今も存在するのか、また商品化されるのかは不明です)
(3)の音質等について
それほど差異はないと思います。
(4)の音質等について
アは3楽章の終わりのところで、電気的なノイズが入っています。イはイタリアのDeAGOSTINIがザルツブルク音楽祭の演奏のCDをシリーズにしたものの1枚(同日に演奏されたガランタ舞曲とカップリング)で、一時、YouTubeに投稿されていました。(残念ながら手に入れることができませんでした)そしてアのその部分のノイズがうまくカットされています。