母さん、僕のあの帽子 どうしたのでせうね?
えゝ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、
渓谷へ落したあの麦稈帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
・・・
明治の詩人、西条八十氏の詩「ぼくの帽子」です。のちに森村誠一氏の「人間の証明」を執筆するきっかけになった詩です。この詩に歌われた霧積は、軽井沢が開かれる以前の避暑地として、明治初期から周辺には旅館や別荘が建ち並び、一時は42軒も点在したとのことです。しかし、明治43年の大洪水で山津波が霧積山一体を襲い、金湯館1軒を残して、泥流に呑まれてしまったとのことです。(金湯館のホームページを参考)
避暑地という点では磯部温泉とも似たところがあるように思います。磯部温泉も、明治時代には避暑地として高級別荘が立ち並んでいて、著名な人たちが競って訪れたようですが、やはり信越本線が開通し、軽井沢が避暑地と注目を浴びるようになってからは、当時の面影は無くなってしまいました。
そのたった1軒残った金湯館、いつかは行きたいと思っていながら、携帯電話の圏外ということもあり、何かあれば呼出しを受ける身にとっては、行けないところでした。
10月1日に転勤になり、10数年振りに携帯を会社から貸与される身から解放されたため、ようやく日帰りで行ってきました。(とても近いので泊まる必要はないのです。)
折しも、今日は紅葉の真っ盛り、最高でした。
車で道路の終わり、きりづみ館まで行き、そこから徒歩です。約1kmということで安易に考えていたのですが、大間違いでした。ひと山越えるようでした。宿の若主人に聞いたところ、きりづみ館との標高差は200mとのことでした。
宿では、部屋で休憩しました。部屋+食事+温泉+昼寝(?)で、一人3,500円でした。もう少し細かく言うと、部屋+温泉が1,500円、山菜定食が2,000円でした。
食事は、鮎の塩焼きと野菜、山菜のてんぷらなどで、とても美味しかったです。温泉は、明ばん重炭酸土類を含むカルシウム硫酸塩温泉で、透明な湯です。湯温が39度と低くめで、じっくりゆっくり入るのに良いです。とても柔らかいお湯で、炭酸を含むからでしょうか、身体に泡がつきます。ちょっと大げさですが、サイダーに浸かっているようでした。
久しぶりにゆったりした休日を過ごしました。
(左:金湯館玄関、右:金湯館の水車、以前は発電に使われていたとか)
(左:金湯館水車への水路、下は霧積川、右:宿周辺の紅葉)