マリー・シュイナールの『bODY-rEMIX』という作品の映像を見た直後なのだけれど、節操なさに私は本質的な良さというものを感じられなかった。トゥシューズ、医療器具、宙吊り、体に装着するものの手を替え品を替え、それによって体を極端にメタモルフォーゼさせていく。それはどれも一見して形状や動きが奇異で突飛で際どく、誰が見ても面白い。次々提供されるものを寿司に例えるとずっと中トロか大トロを食わされているくらいの感じがある。
ほぼ裸体のダンサーたちは卓越して筋肉隆々で活力に溢れている。それに加えて体がある極点に、未知に達する絶頂感みたいなものが舞台上から流れてくる。映像で見ていてもそうだった。
中途半端にダンスで医療器具を扱うと良くないことこの上ないだろうけど、では表現の隙間で愚図つく倫理観をすっ飛ばせるほど一分の隙もないような卓越した体が医療器具をモチーフとし、抽象化してやりきれば作品として消化される、のだろうか果たして。不具のイメージをまとうそこからある意味最も遠い、とも言える可動域の広い体の表現に使われる身体補助器具を、動きまわる体と同時に見る。けれどそれら器具の扱いとしては「踊る際に体に装着するもの」トゥシューズと変わらないのだろうこともわかる。理屈ではわかる。
ものと体の関わりにおける必然性はそれを表現のために「使い切る」ことでは生まれないのではないか。あわいに生まれる必然を通過してしまっているように見える。
けれどそういったことを思考するのは別にこの作品の趣旨じゃない。終始何かが嘘くさいけれど、それに有無を言わせない力のある、つまりこれは良質のエンターテイメントだと思った。あれだけの異形が次々あらわれるのに、異形がひとつもない。
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