気温が下がってくると猫が布団の上に殺到する。小梅は足下で小麦は胸の上当たりに乗って来るので息苦しさに目を覚ますと猫の顔の輪郭が目の前にあったりする。ストーブをつけると猫はそこにも殺到する。普段仲のよくない2匹が致し方なく温かい場所を分け合っている。
仕事を終えて夕方家に帰る道、空き地の草むらにもう2ヶ月くらい打ち捨てられたままのビニール傘があって、毎日まだあると思いながら視界に入れる。中学校の塀の向こうから部活の音が通りに届いてくる。良く聞き取れるのは中学時代やっていた軟式テニスのポコンというゴムの玉の音。それに女子達のかけ声。野球部の声。そこに吹奏楽の練習が混ざる。
紅葉した並木道からとてもいいにおいがする。赤くなった葉からする甘い落ち葉のにおいがする。更地があまりおもしろくない家並みに変わっていく。こういう建て売りの箱型のコンパクトな家が立ち並んで出来る風景を例えば50年後、今の私たちが文化住宅の立ち並ぶような昭和の色濃い街並をおもしろく見るのと同じように、若い人から見たときにノスタルジーを受け取る風景になるのだろうか。時の風化を受けて今のところ無味乾燥なあの家並みにも味らしきものが出てくるのだろうか。
家々の換気扇から甘辛い醤油のにおいや生姜焼きのにおい、おでん、あきらかに秋刀魚、などが漂ってくる。うちには3日目のおでんが土鍋で眠っており、自転車に積んだ買い物袋のなかにはさらに足す練り物などが入っている。おでんは具を変えながら4日くらい食べる。だから初日に大根は1本仕込んでおく。飽きないように具を日々数種更新し、日ごとに味が染み込んで最終的に大根は出汁の結晶のようになる。
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