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流出雑記 

待つ

2008年10月12日 | Weblog
2時過ぎ就寝10時半起床。
喉が痛いのでなかなか起きる気にならず寝すぎる。

昨日買ったりんごを剥く。ふじ。みずみずしい。

午後、事務所から借りているフラメンコの衣装を返すため出る。
京都市美術館前で待ち合わせていた。
岡崎グラウンドでは何か子供向けの催し物をしている。名前がわからないが、空気で膨らんでいて中に入れる巨大な恐竜型のやつがあった。

美術館の前でも別の催し物がやっていた。ダンスの大会らしく、テーマが「和」なのかそれぞれ着物をアレンジした衣装をまとったダンスチームの若者とギャラリーがたくさん。

事務所の方を見つけ、衣装を渡す。
最近男性モデルが少ないからそのへんのダンサーの男の子に名刺を配ってみようかなと言っていた。

夕方仕事があるのでこのまま家に戻らず美術館の向かいの図書館に行く予定でいたが、あんまり騒がしいので予定変更して街の方へ向かう。
ベルトがほしいと思っていたのに買ったのはワンピース。

本屋で「待つということ」という鷲田清一の本をちょっと読んだら気になったので買う。

いつ来るか分からないもの、時間のかかるもの。そういう焦れったいものはどんどん「すぐに検索!」「あっというまに!」という便利の力を得て解消されていくがそれがどこか気になっていた。

私は仕事で大阪、奈良などの行った事のない場所へ行く事がよくあり、乗り換え案内のサイトをよく使う。
本数が少なく各駅停車しかないローカル線に乗るときなどはシーンとした電光掲示板のないホームにいると不安になり、すぐ携帯で乗り換え案内の「現時刻検索」をしてしまう。

普通なら1時間以上かかる料理を圧力鍋を使って半分以下の時間で作ってしまう。
圧力鍋は高圧に達するとシュウウ…と未知への助走に入った音と蒸気をあげる。
その間鍋の中でどんな事が起こっているのか確認できないが、筑前煮が5分の加熱で出来てしまったりする。
私は圧力鍋を抵抗感なく受け入れられたが、母は買ってみたものの使い慣れずに今までやってきたコトコト煮込む方を選んだ。私も時間があるときはコトコト煮込みたい気分になることもある。

待たなくても良い 即座に出来る すぐつながる ワープ感があたりまえになっている。
そういうものは私にとっても便利でありがたく無くては困るものであり、あたりまえなこととなり、待つことがどんどん苦手になっているように思う。
それは使い捨て感にもつながる。
とはいえロハスロハスとなる訳でもなく便利なものは大好きだ.

ただ待つということをほんとうに待てなくなりそうな気がしてそれはなんだか良くないと思うので「待つということ」を読んでみようと思う。

6時からの仕事までまだ時間がある。仕事場の芸術会館は出町柳の近くなのでその辺りに移動し、柳月堂でくるみパンを買おうと思い近くまで行くと、そこのオーナーが出て来た。以前パン屋の2階にある名曲喫茶で働いていたことがあるが、ちょっとトラウマなのでオーナーが去るのを待って急いでくるみパンとかぼちゃマフィンを買い逃げる。

コンビニでコーヒーを買って川原で「待つということ」を読む。本に蜜蜂がとまった。後ろ足をすりすりしてまた飛んで行った。日が暮れると寒い。 

仕事は2時間5ポーズクロッキー

終わって帰宅、近所のスーパーに寄るとダーリンから電話。
今日も式場カメラマンの仕事だった。今帰りで、私のいるスーパーの近くにいる、お腹がものすごく空いたという。
とりあえずスーパーまで行くといって電話を切った。

ごはんはもう作ってあるが、唐揚げを買い物カゴに入れた。
しかしなかなか来ない。
いろんな食料品を見ながら見尽くしたと感じるまで来ず、電話しても出ないのでもうレジを通して店を出る。
出るとやっと向かいからやって来た。
コンビニに寄っていたようだ爪楊枝をくわえている。
すぐに来ると思っていたのでだったら待ち合わせなくてもいいじゃないかといらだつ。

いらだちながらさっさと帰り暗い玄関を入り小梅がいつものように外にでたそうに出迎え。急いでごはんの支度。
少し後から帰ってきたダーリン。

しばらくしてスーツから着替えたダーリンが「小梅は?」という。

家の中のどこにも居ない。
さっき私が玄関を開けた時暗いのに紛れて外に出てしまったのだ。
まずい。
外にでて呼ぶ。
小梅は遠くには行けないはずだが見つからなかったらどうしよう。

しばらくして「いた!」とダーリン。
やはり近くに居て、無事捕獲。

ほっとして体がカクンとなった。
いらだって注意散漫になるのはだめだと反省。

 
 




にょん

2008年10月11日 | Weblog
3時就寝9時半起床。

同じ時間に寝たがダーリンは式場カメラマンの仕事で8時過半に出勤。
私は目すら開かないまま行ってらっしゃいを言ったような言ってないような。
天気予報は雨だったが晩のうちに降って朝にはやんでいた。

あまり風邪をひかないが、扁桃腺があやしい気配。ルルを飲んでおく。

午後から、クロッキー会によく描きに来られている住職さんから自宅の寺で書画展をするという案内をいただいたので見に行く。地図をみると、大徳寺の近くで私の実家の近くでもあった。
自転車で向かう。
銀杏並木は秋の腐臭、銀杏だ。おばあさんがふたりくらい拾っている。おいしいのは知っているが私は拾えない。京紫の花が目につくノボタン。コスモス。
2時半頃寺に着く。
入り口を入ると玄関口には思いのほか靴が並んでいる。
受付もあって着物のおばさんが丁寧に挨拶をしてくれる。きちんと掛け軸に仕立てた作品が所狭しとかけられていた。
住職もいらっしゃった。「ようきてくれはって。ゆっくり見ていってください。」と言ってすぐまた次々訪れるお客さん、檀家さんに挨拶するのに忙しそう。隙をぬって少し書の言葉の説明をしてくださる。
絵は模写が多いそうだ。蓮や山水、裸婦はもちろんない。
スケッチブックが置いてある机があり、そこにはモデルクロッキーの作品があった。
私もいた。

最後に茶室にとおされ、抹茶とお菓子をいただいた。おまんじゅうの上に黒豆のようなものがひとつ乗っており、口にすると独特の風味。大徳寺納豆だ。
障子を開けた茶室には涼しい風と庭の緑が入ってくる。
茶室で一服いただけるなんて思っていなかった。不意に豊かな気分を味わう。

お家も庭もお手入れが大変やろなあと隣にいたおばさんたちは小声でしきりに言う。

お寺を出て、近いので実家に寄る。
父不在。なのに裏の縁側のガラス戸が全開で押し入れの襖や引き戸やらも開け放たれ豪快かつ不用心に湿気払いがされていた。
一瞬泥棒が入ったのかと思った。

仏壇に参り、持って帰ろうと思っていた服を数着と湯のみを紙袋に詰めて長居せず発つ。

帰りに生協に寄る。
和風の煮物が食べたくなった。
いつも鶏だが気が向いて豚バラの塊にする。
こんにゃく、人参、里芋。
りんごと玄米を久しぶりに買う。

帰宅後調理、豚バラは圧力鍋で一度油抜き。
こんにゃく下湯で、にんじん、芋の子を洗いきれいに剥く。

濃いめの煮汁で加圧4分。完成。 
ダーリンは今日遅い。
帰る頃には冷めて一段と味がしみているはずである。

うちの玄関のセダムの一種がにょんとのびて花を咲かせた。






S/N

2008年10月10日 | Weblog
4時就寝9時半起床

洗濯日和だが洗うものがあまりない。

日中特に何と言えないよう細々したことをして過ごす。
ダーリンはパソコン。DVD「太田省吾の世界」のパッケージを作っている。表紙になる写真にいくつか候補があったが、最終的にやっぱりこれだろという意見は一致した。完成が楽しみ。

夕方、突然ダーリンが精華大でやっているダムタイプの「S/N」の上映を見に行こうと言う。
ふたりとも映像舞台芸術学科なんてところにいたのにまともに観た事が無かった。
叡電に乗る。帰宅時間でやや混んでいる。
10分ほどで到着。図書館の中のホールで上映、無料。

個々の問題が普遍的な問題提起、告発としてあらわれ、多様な要素を扱いつつひとつの上演としてなりたっている。
フィクションとドキュメントの間でアートは接着剤のように諸要素を繋いでいた。
力のある粘着、巻き込まれて潰れない諸要素の強度、受容の幅広さ、でもスタイリッシュ。
そしてなんだろう 絶対感。
終盤、耳の不自由な青年が補聴器をはずしてマイクスタンドに近づけてキーん ハウリングさせる。
あの音が気持ちよく思えたのは初めてだった。
観た後ダーリンは思った以上に何か衝撃をうけたと言っていた。
修学院に戻り、一乗寺のあたりにあるお好み焼きやへ。
ふたりとも感想をあまりしゃべらずもくもくとお好み焼きを食べた。ここのお好み焼きはおいしいのだ。
お腹がすいていたので頼みすぎた。残ったのは持ち帰りにしてもらう。

家の近くに夜11時までやっている喫茶店がありそこに寄ってゆっくり感想を話しだす。
現在の私たちの存在、身体、それをどう扱い触れる事が出来るか。といったことを話した。

注文したキャラメルフレーバーラテは2倍に薄めても甘いくらいそもそも甘い。

残留私

2008年10月09日 | Weblog
4時就寝9時過ぎ起床。

木曜は缶・ビン・ペットボトル回収日。
かなり溜めていたのをやっと出す。回収の人に申し訳ないくらい重い。
今日も良い天気。
洗濯。
お風呂の湯を洗濯に再利用しているが、ホースがないのでいつも洗濯機と風呂場の2メートルほどの間をバケツで行き来する。

ゴウン………ゴウン…
ドライコースの洗濯はおごそかに始まる。

さつまいものお味噌汁が飲みたくなる。
さつまいも、キャベツ、玉ねぎ、人参、しめじ、ねぎ 冷蔵庫にあるものいろいろ入れてやった。
さつまいもの味噌汁、女性では好きな人が多いが男性ウケはどうもいまいちのようだという話しがある。
ダーリンもさつまいもよりじゃがいものほうが好きらしい。
味噌のしょっぱい中にさつまいものほくっと甘いのがおいしいのにね。

ダーリン12時半起床。

お昼を済ませてから、京都市美術館に私の母校の美術高校の制作展をふたりで見に行く。
今年の春、そこの彫刻科に3ヶ月間ポーズに行っていた。その立像も展示される。

自転車で走っていると暑いくらい。
美術館に着く。日本画、洋画など8学科あり、私はファッションアート科にいた。
いろいろ見て回る。基礎実習のデッサンなども展示されていた。私が学生の頃もよくモチーフになっていた「プレミアム」というクラッカーの箱が今も描かれている。
ダーリンも画塾で初めて描いたのはプレミアムだったと言う。
パースの付け方も教わらないままとにかく見えるように描いて、その時の「PREMIAM」のレタリングだけが異様に巧くて褒められたそうだ。

彫刻の展示室に行くとちょうど合評中だった。
挨拶をしゆっくり見せてもらう。
ポーズ期間が終わった後も1ヶ月間それぞれに手を入れ続けて完成したそうで、たしかに教室で出来ていくのを見ていた粘土の段階のものとは印象が変わっている作品もあった。
ポーズは同じなのだが8体それぞれの人体が完成していた。
付け足したり削ったりしながらはなれてバランスを見ることを繰り返した末にひとつの「人」のフォルムが残されていた。
残されたフォルム。
人のかたち。
彼、彼女らはどういう思いでその形を残したのだろう。その形の人を。
何かを足したり、削ったりしながら。

私はそのポーズをしているときの骨や筋肉の立証としてあったが、新たに私ではないものがそれぞれの感覚で肉付けされ掘り出され、でもふくらはぎのラインや表情、そこかしこに私の要素が残っている。
「人」の形のなかに私の残留を立体的に見る不思議な感覚だった。





思春期

2008年10月08日 | Weblog
昨夜4時こたつで就寝。
化粧を落さないで寝た後悔と共に9時過ぎ起床。

とりあえずシャワーを浴び、うめちゃんにごはんをあげる。膀胱炎予防のフードにかえたら今までのよりお気に召したらしく食い付きが良い。

昨夜仕事の打合せに出てそのまま飲んで某制作事務所の床で朝を迎えたダーリンがふらふら帰宅。ベッドに倒れてまた寝る。 飲み過ぎると油性ペンのにおいがする。

今日は午後から以前にも少し書いたT氏宅で仕事。
1時家を出る。見事秋晴れ。
T氏は60代後半、手足に障害があるが歩いたり描いたり日常動作はなんとかこなせる。未婚独居。ヘルパーが週一回生活介助に入っているらしい。
T氏は画家ではないがもう何十年とクロッキー会に通い、画用紙に鉛筆でモデルを描き続けている。油絵などの作品制作をしている訳でもない。おおらかな人柄で、クロッキー会で顔見知りになり仕事を受けるようになって2年くらいになる。

今日は「こんなようなポーズしてんか」とリクエストがあった。
古いムンク展の図録に付箋がしてあり、開くと「思春期」だった。
10代中頃の女の子がこっちを見据えている。
図録を見ながらできるだけ座り方を真似してみた。T氏はあまり細部にこだわらない。

思春期、その頃と寸法は殆ど変わらないけどそう言われる年代からもう10年くらい経った。不思議。

仕事を終え、また別の打合せで出ていたダーリンと落ち合い、欲しかったアイロン台を買う。
帰りがてら寄り道し、一乗寺にある古着屋さんに入る。緑色の小さい店内、丁寧に色柄別にラックにかかったワンピースやシャツ。
映画のセットのような素敵な店で何か買わなくても満足感を得てしまう。
そこから近くの恵文社に寄り、高野文子の「黄色い本」を買ってスーパーへ。
飲み過ぎて胃を荒らしたダーリンはうどんがいいと言う。
ネギや白菜、いわしのつみれ、鶏、うどんは普通のうどんの倍くらい太い煮込みうどんにした。
お菓子コーナーをうろついていたらせんべいが食べたくなりいろいろ物色しぬれせんと普通のを買う。

帰宅しうどんの用意をしていたら印刷会社の方がみえる。ダーリンのチラシの印刷の打合せなどでよくうちにみえるが今日はすぐに帰られた。

伊勢うどんを思い出す太いうどんはおいしかった。

11時半頃ダーリンの後輩来る。ふたりは二階で何かパソコン作業。
私は高野文子を読んだり風呂に入ったりストレッチしたりふたりの夜食におにぎりを作ったりしていた。

飛潜

2008年10月08日 | Weblog
しばらく止まっていましたが今日からまた書こうと思います。

朝。曇っている。網戸のまま寝ても寒くなかった。
9月の末、秋を通り越した寒い日が何日かあって、我が家では早々とこたつを出してしまった。

ゴミを出しに玄関のドアを開けるとうっすらキンモクセイの空気。しっかり香るので木が家の前にあると強すぎるかと思うが、何処からともなくキンモクセイというのは心地よい。

子供の頃遊んだ公園にはキンモクセイがたくさん植わっていて、咲くと毎年嬉しかった。
いいにおいのするものは小さい女の子にとって魅力的で、におい玉、においつき消しゴム、紙セッケンなどは宝物の引き出しにしまわれていた。

キンモクセイは触るとぽろぽろ落ちるので集めてティッシュで包んで持って帰り、巾着状にしてベッドに引っ掛けてサシェのようにしてみたこともあったが、寝る頃には昼間に公園で嗅いだようなフレッシュさは失われてなんか植物っぽい残り香がしていた。
二十歳を過ぎてからも一度、早起きして当時下宿していたアパートの近くの疎水沿いにキンモクセイを集めに行ったことがある。そのときは桂花陳酒を作ってみようと思い立ったのだ。
花を焼酎に漬け込んで狭い台所の流しの下で熟成させた。
1ヶ月くらいで飲めるらしく色も琥珀になって良き頃に飲んでみたのだが、なんとも不安になる味がした。
その上ほとんどお酒を飲めないので処理に困った というキンモクセイの思い出。

ちなみに姿はほとんど同じだが白い花でもう少し品のあるギンモクセイというのもあって、そっちはもう少し甘さを控えた品の良いかおりがする。

ゴミを出した後、昨日この辺の牛乳屋さんがお試しにとビンの牛乳やらヤクルトみたいなのを沢山くれた中からクロレラなんとかという体に良さそうなものを飲み、ひとつ残っていた無花果を食べた。
真ん中が熟れすぎてアルコール臭がする。
無花果の内部には他の一般的な果物にはない不可解さがある。
無花果と言う形式の中にまだ生まれていない宇宙の可能性が隠されているような、そういう食べるものに思える。
単に味覚的な好みで買ってしまうだけでなく、謎と秘密を取り込んでるような感じが好きなのだ。そういう食べ物は他にはない。

お昼ご飯は残っていたカレーにして、食後ダーリンは家で仕事、私は自転車で京都市美術館へ向かった。
美術館に着いてから6日からだと思っていた展示は9日からだったと知る。
せっかく来たしと開催中の展示を見ようかとも思ったがあまり興味をそそられず。
だから今日は秋のサイクリングとなった。

帰りに膀胱炎気味の小梅のキャットフードを買う。値段は今までの倍くらい。

スーパーにも寄り、無くなりそうな醤油と味噌、青いみかん、さんまの蒲焼きなど買う。
無花果は私しか食べないし安くないので毎日は買えない。青いみかんはダーリンの好みである。

帰宅後、ベッドにポイと置いてあったしりあがり寿の「方舟」をうっかり読んでしまう。
初めて読んだときもそうだったが読んだ後に何とも言えない茫然とした心境になる。

でも米をとぎ夕飯の支度に取りかかる。

母からもらったけど馴染みが無くてなかなか使えない輪切りの切り干し大根を干し椎茸と人参と炒め煮にしてみた。
普通の切り干し大根より歯ごたえがあっておいしい。

大根をおろし、上新粉と白玉粉を適当に混ぜて大根餅のたねを作り、さんまの蒲焼きを1センチくらいに切って乗せて蒸す。
最近魚が好き。
お味噌汁はじゃがいもと玉ねぎ。
しめさばも少し食べた。

夜は久しぶりに絵を描いた。
描いているうちに、ひとが飛びながら潜っている絵が出来た。