figromage

流出雑記 

自景

2008年10月19日 | Weblog
2時就寝6時半起床。

見た夢。
小学校の非常勤のような立ち位置の私。
一泊校内宿泊行事で隣で寝ている谷村美月のような顔の低学年女子の頬っぺたを撫でたりしながら軽い性的衝動を抱く。
最近学園ものの夢をよく見る。

10時から大阪、天王寺で仕事。
6時台に起きるのは久しぶりで緊張しながら寝たらぱしっと目覚める。

午前午後の仕事なのでお昼のおにぎりを作る。
ダーリンを起こしなんとか上半身起き上がったのを見届けて8時前に家を出る。
自転車で出町柳まで行き、京阪に乗る。
四条と五条の駅名が「祇園四条」「清水五条」に変わっていた。

天満橋で地下鉄に乗り換え天王寺へ。
美術館の人物画教室。
4時間半、立ち固定15分を11ポーズ


午前の部が終わり1時間の昼休み。じりじり暑いくらいの日差しに天王寺公園内のバラも辛そう。
おにぎりを食べて、美術館でやっていた佐伯祐三展を観る。
今日が最終日で日曜なので混んでいるに決まっているが観たいと思った。

今の東京藝大にあたる学校を出てからパリに渡り、一度帰国し再度渡仏のち30歳で亡くなるまでの作品が展示されている。

印象に残ったのはパリの画学校で最初に描いた自画像を「アカデミック!」と批判され、それが相当なショックとなった佐伯祐三がその後しばらく描き続けていたという自画像の一枚で、はらっぱの道でパレットと絵筆を持った画家自身が茫然と立ち尽くしている絵。
顔の部分は削られている。
未完の作だそうで、パリの街角を描くに至る前の当時の佐伯祐三の状態をよくあらわしているということで展示されていた。
学生時代の自画像は、どれも鏡ごしに自分を見据え挑むような眼光だっただけに打ち砕かれたという様子はあまりにはっきりと見て取れる。

その後画家の目は街角に向けられる。
酒場、カフェのベージュにモスグリーンや深いプルシャンブルー、煉瓦色、の落ち着きと品のある色のペンキの壁、異国の文字、鮮やかな赤。
街の佇まいや色調に魅せられていくのがよくわかる。
そして佐伯祐三の絵と言えるスタイルが芽吹いた頃に家庭の事情で帰国。
その折に描かれた日本の風景は全体的に沈んでいる。
電柱が目につく風景が多く、画面のど真ん中に電柱を描いている風景もあった。
パリの街の風景に電柱や電線はない。
「日本では描けない」という想いを見ているような絵。

余談になるが、エヴァンゲリオンには電柱と電線の風景がしばしば出てくるように思う。
電柱と電線は都市という大きなからだをはしる神経回路のような有機的なイメージを喚起させる。
電柱と電線の風景と明朝体の美しさはエヴァから教わった。

帰国した翌年、再渡仏を果たした佐伯祐三の絵筆は息を吹き返したかのように踊る。
街並、文字、木立。
ポスターの描かれた余白の白になぜかドキドキする。

画家の目にうつる異国の街角の風景が画家本人へ移っていくような、それが自画像と等しくなるような照応。

そこからやがて新展開を求めてパリ近郊のモランという村へ写生旅行に出掛ける。
その村で描かれた風景画にはパリの街角に見られる踊るような筆跡とはまた異なり、輪郭線が強く引かれた寺院、どことなく不安になる歪みと重さのある建物が描かれている。
その後パリに戻って心身の調子を崩し30歳の若さで亡くなった。

印象に残った「立てる自画像」のポストカードを一枚買った。

昼休みが終わり、午後からのポーズ。
描いている方がレモンティーをくださった。
すべてのポーズを終え、帰る。
ホームで京阪を待っているとおばあさんに話しかけられる。
美人だった。

京都に戻りスーパーに寄って帰宅。
ダーリンと舞台映像を一緒にやる後輩E君が来ていた。
なにやらパソコン作業。

夕飯は3人で食べた。
カレー鍋というのをしてみたかった。
和風だしと市販のカレールー3分の2くらい適当な濃さにして、主にキャベツ、それからソーセージ、ねぎ、しめじ、油揚げ、残っていた豚肉とベーコンも入れて煮た。
おいしかった。
〆はやはりカレーうどん。

食べながらレジャーとは何かについて話した。