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流出雑記 

お山へいく

2008年10月13日 | Weblog
3時就寝9時過ぎ起床

洗濯機、3回転。
無理矢理ぜんぶ干す。

冷凍庫に入れたまま食べるタイミングを逃し続けていたぜんざいと粟餅。
ぜんざいを電子レンジで解凍、餅をトースターで焼く。
今年のはじめだったと思うが、いつ炊いたか思い出せないぜんざい。
解凍して味をみると冷凍庫の味がする。
ごまかせないかとシナモンをふってみたが無駄な抵抗だった。
餅は大丈夫だった。知覚される冷凍庫の風味をできるだけ無視してぜんざいを食べた。
まだあと一人前分凍っている。

12時半ダーリン起床。
家で仕事をしていると夜行性になってしまい、最近こんな調子で朝昼ごはんはバラバラに食べる。
冷凍庫味のぜんざいを出すわけにはいかないのでハムと卵とごま昆布の炒飯。

本を読む。
2時前ダーリン打ち合わせで出る。
4時頃私も自転車で買い物に出る。
今日の気温と湿度、4時過ぎの日当たりは完璧だった。同調して和三盆の菓子のようにシュンと溶けられると思える外気。
ペダルも軽い。ふわーとしながら造形大辺りにたどり着く。
打ち合わせが終わったダーリンに電話してみると近くの本屋だった。
舞台映像をやる後輩と喫茶店に行くところだった。私も一緒に行く。
何度も前は通ったが初めて入る喫茶店 ミュー。
ごちゃごちゃしたカウンター、マンガがタワーのようにそびえた立ち、貼ってあるポスター類はなぜかぼろぼろ。床には踏まれ切った毛布が部分的に敷いてあり椅子も喫茶店としての限界を超えてなお使われてる。
マスターも店に来る馴染みの客も皆訳あり感を漂わせている。
でもカフェオレは普通だった。
ダーリンたちは機材を借りる段取りを相談している。私はスポーツ新聞や週刊誌をぱらぱら。
その後はS/Nの事や、京都にいるアーティストの生活のことや音楽遍歴を話して6時過ぎに別れる。

「雨に歌えば」が聴きたい病にかかったダーリンとカナートのHMVでサントラを探すが見つからず。
催し物広場で北海道物産展がやっていた。ちょっと試食。
ビデオ屋とリカーマウンテンに寄って帰る。

晩ご飯、豚バラと根菜の煮物(3日目)、ごはん、鯖の粕漬け、納豆みそ汁。
煮物の汁をごはんにかけて食べるのが好き。

夜、今村昌平監督の「楢山節考」を観る。
主演は先日無くなった緒形拳。
信州山間部の農村が舞台、長い冬は雪に埋もれてしまうようなところ。
限られた耕作地で作った限られた食料を家族で分け合い過ごす冬は死活問題に関わる。
そんな村では長男以外は嫁をもらうことを禁じられ、次男以降は奴(やっこ)といわれ、一生独身のままその家の労働力になり、女の子は近くの村に嫁に行くか、町へ売られてしまうということが実際普通にあったそうで、そんな習慣の一つに「姥捨て」があった。
70歳になると冬が来る前に、「山の神様のもとへ行く」。
家族の為に滅私奉公で働いて働いて年老いて、孫が嫁を連れきたその年の冬が来る前に「お山へ行くだ」と自ら言う。

山への険しい道のりは息子の背中に負われて行く。
その道のりでは口をきいてはならず、もう自分の足で歩く事も無い、棺桶のような体。

そして自分の祖父母や父や母も白骨化した場所にひとり置き去りにされる。
鴉が番人のように待っている。
自ら志願して山へ行く人もあれば、半分痴呆になり縄でくくられて山へ連れて行かれ、嫌だ嫌だと泣き叫んでいるのを「お山へ帰ってくれ!」と谷底へ突き落とされるという老人も描かれていた。

食べるものがないから、家族にとって邪魔になる。 
というあまりにはっきりとした理由が「山の神様のもとへ行く」という言葉の裏側にどうしようもなさと諦めの了解のもと、しきたりとして成り立っている。

嫁をもらえない奴たちの性的葛藤、顔も見ないまま決まる隣村からの妻、村人の食料を盗んだ一家を子供も含めて生き埋めにし根絶やしにする村人の共犯関係という繋がり。閉鎖的な村の中、濃度を増したように浮き彫りになる生と性。
深い穴に6人くらいの家族を放り投げて村中の男たちが無言でひたすら土をかけているシーンが印象に残っている。

とにかく生きる事、衣食住以外のことにかかわり合ってる暇もなく、人権とか選択の自由とかそんなことが疑問視される前に子供は孕まれ、年老いたものは捨てられる。
選ぶ事なんかできない。
そうなっている。

今はそうなっている中にいろいろ言い訳をする隙があるなと思う。