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流出雑記 

月見会

2008年10月14日 | Weblog
3時就寝9時半起床。
風邪がまだ扁桃腺にひっかかっている。

雨音。
昨日干した大量の洗濯物を取り込んでないのに。
物干しにトタン屋根がついているので大半は濡れないが、屋根からはみ出したタコ足に吊ったタオルはびしょびしょだろう。
濡れてまた乾けと思う。

ダーリンは深夜作業のち床で寝てしまっていた。
うちは二階がダーリンの仕事部屋と寝室。

一階に降りると昨夜から吸水させた玄米が炊き上がったにおい。やわらかく炊き上がった。
おにぎりにする。

昼過ぎダーリン起床。
一階に下りてきて「伝統芸能~はげ踊り~」と唄いながらおどる。
起き抜けからそのテンションは心配になる。

私は雨の日の鬱々が全身に行き渡りコタツカタツムリになっていた。

今日は夕方から仕事。
身支度をするとしゃんとする。
その後描きに来られた方々と恒例のお月見会と銘打った食事会にご一緒することになっていた。いつもは自転車だがそういう遅くなる時はタクシーで送っていただけるので小雨のなか歩いて駅まで下る。

修学院から叡電に乗り出町柳で降りてすこし早く着いたので元ボンボンカフェだったところに行く。
イタリアっぽい店名に変わり、300円だったコーヒーは値上げして、安くて手軽でよかったサンドイッチ類がメニューから消えた。新しいメニューも安いことは安いが、店内が全体的にあまり良くないリニューアルを遂げていた。
カプチーノの頼み、努めてゆっくり飲む。

しばらくして店を出ると雨は上がっていた。
半日カタツムリだったのでひたひた歩くのが楽しい。

3時間6ポーズ固定
座ポーズで腕に体重をかけすぎた。手首が痛い。ポーズ中、何度もミスったと思う。 
ポーズを終えて四条河原町の方へ車に分乗して移動。夜は晴れて月が出ていた。

もう25年ほど続いているデッサン会で、開始当初からの方が今もいらっしゃる。
新年会も月見会も毎年同じビアレストランでやるので、店の人とも顔なじみといったふう。
私はここへ来るのは二度目。
会の代表の方が今日のメンバーに程よいビールと食べ物を手早く注文される。
「ここはカキフライがうまいんや」と、何がおいしいかはもう知り尽くされている。

10人で取り分けられる大きいオムレツが運ばれて来た。
80代の木版画家の女性がひとりいらっしゃる。
「椿さん」という素敵な名前の素敵な方。
食事もよく召し上がり、フライドチキンに齧りつき、好物はオムレツ。
今はおひとり暮らしのようで、「オムレツも卵よおけ使わんと一人分やとふわっとできませんのや」とおっしゃったのを聞き逃さず椿さんのためにチーズオムレツが追加されていた。
「もうだいぶよばれましたのに」といいながらチーズがぴよんと伸びるあつあつのオムレツをとり皿に取った。

メンバーの中に住職がいらっしゃり、修行中のおもしろい話しをたくさんしてくださった。
参加者は11名で60代の方が多い。

おもしろかった京都の地名の由来についての話し。
私は実家に居た頃親から、「この辺の土地は昔全部野原で、死体を捨てる場所やった。だから掘り返すと骨がいっぱい出てくる。」と聞いた。
なぜそんなことを言うのか、私は恐がりだったのでそれで夜寝れなくなった。
ただそれは本当の話しだったそうで、実家は千本通りという通りに面しているのだが、その千本とは卒塔婆が千本くらい立っていたというのが由来だそうで、地名で「野」と付く所は死体を捨てる場所だったらしい。実家の住所は「紫野」。
京都の中で他に思いつくもので北野、大原野、嵯峨野、高野など。
京都は平安時代、都であったと言ってもそれは本当に街の中心部だけの話しだったらしい。

あと宮本武蔵と吉岡一門決闘の地は「一乗寺下り松」ではなくほんとは上京区の「一条下り松」だと知った。
一乗寺は今住んでいる場所に近いしバガボンドを読みながら「武蔵、清十郎この辺で…」と思っていたのに。
近くの和菓子屋には「武蔵」というおまんじゅうも売ってるのに。


一次会終了後、数人で先斗町の品のいい料理屋さんに行く。
食事の気にならないお香の香りがしんとする座敷。床の間には壷にフウセントウワタや菊が美しく生けられている。

食事をしてきた後なので、季節のお料理が少しづつ盛りつけられたお皿が出された。
私は里芋を甘辛く煮てしまうが、そこのはダシの風味をまとった上品な里芋。
イワシの生姜煮、栗の甘露煮、和え物、お刺身。
焼いた銀杏が二粒。ほこっとして弾力のある食感、うっすらと苦み。自分で拾ったり、買ったりしないけど季節のおいしいものだなあと思う。

12時半頃解散。
タクシーは三条から北山まで川端通をずっと滑るように走る。



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