2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

若者の逆襲。

2018年08月31日 | ひとりごと

最近、運動部系の動きに変化。選手たちが堂々と意見を上げるようになった。それに対しての大人たちの狼狽ぶりが滑稽だ。
絶対服従の世界かと思っていたらいつの間にかインテリを気取る左翼よりよっぽど立派。行動的である。
情報を独占することによって支配してきた層からインターネットの普及により情報の持つ付加価値を奪った。

行動を起こすことにより生じる波紋のことなど考えずに動けるのが若者の特権だ。もっとも目ざとく長いものには巻かれておこぼれに与ろうとする若者が大多数なのだろう。若年層ほど保守的なのだそうだ。情報方で先が見え勝てしまう。あるいは諦めから弱い者を見下したいために強者にすり寄る。

どうせ一度限りの人生。もっと大事さを楽しんでもよいのだ。勇気、または無鉄砲な若者に続いて欲しい。
強いものにしっぽを振って、餌を分けてもらおうなどとは思わないで欲しい。特に政治屋さん。

回顧録

2018年08月29日 | ひとりごと

最近の記事、過去を振り返ることが多くなった。老人特有のことかもしれない。いかん、いかん、前を見なくては。
ボランティアに没頭する気にはなれず、但し好奇心は捨てずにいろいろなことを経験してみたい。秋になる。写真が最も楽しみな季節。紅葉の時期を見定めた。
鉄旅もいくつか計画。大井川鉄道、飯田線、磐越西線、妄想が膨らむ。今年はどんな秋になるのだろう。



障害者雇用で国も地方自治体も大うそつきを重ねる。もっともこの問題だけではないが。
個人個人の気持ちが抑え込まれる日本。明治維新は必ずしも市民革命ではなかった。アメリカに壊されるまで江戸時代の社会制度は生き延びた。
階級社会にどっぷり浸かった感覚はそう変わるものではない。更に現政権はその時代に戻して支配しようと企んでいる。
戦後の混沌とした時代も3世代も減ると階級も固定化しつつある。さらに目先の利益追求によって増えた非正規雇用による低所得者層の拡大、それに伴う非婚率の上昇と、住みにくくなる一方だ。今の政権を支えていることが民度の低さを露呈している。

暮らしと設計

2018年08月28日 | ひとりごと

月末間近。締め切り向け仕事が少々忙しい。そんな中GICC「群馬インテリアコーディネーター協会」の理事会に出席。
この会に入ってもう30年近くなる。知人からこの会を紹介され入会。建築設計にずっと携わっては来たものの公共建築においては「窓装飾工事」だとか「雑工事」などと呼ばれ本流の仕事扱いはされてこなかった。いっぽう独立して住宅の仕事が主力になると実はこちらのほうが遥かに重要。フィジカルな部分は必要条件に過ぎないのだ。

この会を通じて幾人もの優秀な人達と知り合うことができた。知識の吸収とともに得難い存在である。
いつのまにか最高齢者に近づく。会員もずっと若い人たちが多い。インテリアコーディネーターは女性の多い職域でもある。

この資格ができた頃よく現場でぶつかった。思考方法が少し違うのだ。建築設計においては最終のカラースキムまで含め仕事と思っているが途中から入ってきて口を出され閉口したことも。無地で考えていたものをいきなり花柄を提案されたのでは大きな迷惑。それはそれとして知識の偏在が原因である。そのこともこの会に入ってよくわかった。デザインとコーディネートの間にある線も面白いものだ。

理事会の議題も会員の感覚の違いを感じつつ受け止める。お世話になった会だ。ぜひ末永く続いてほしいと思う。

夏の光

2018年08月27日 | ひとりごと

今日も暑い。日差しが強い。夏ならではの光と影。こんな日は花の撮影は難しい。日が当てれば過ぎしなびるし、日影は暗くて手ブレする。
現像してみてがっかりの連続。相変わらず進歩がない。出来はともかく、その日の光を記憶しているには違いない。そんな思い出を楽しもう。


葉月の太田

2018年08月26日 | ひとりごと

いつも美味しそうな和菓子の画像が載っている「呑龍文庫 ももとせ」と太田市の建築設計事務所「arc-d」のオープンハウスを見学しに太田市へ向かう。
「呑龍文庫 ももとせ」は米田横堀建築研究所のWEBサイトを長らく作成していただいている木口和也さんの店。彼の目にかなった道具と喫茶の店である。
今日は残念ながら上生菓子は完売。「抹茶のアフォガード」をいただく。東毛酪農のアイスクリームと足利の香雲堂の餡に抹茶をかけていただく。
アイスクリームに抹茶がかかると織部の緑のようだ。木口さんとも近況について少し話をする。

「arc-d」の設計した住宅は量販住宅メーカーには決して真似できない空間のクオリティ。小気味よいほどののびのびした吹き抜け。
このような姿勢が建築家の将来を切り開くのであろう。
手法こそ違え量販住宅メーカーが真似できないレベルの仕事を作り続けなくてはと改めて思う。こちらも頑張らねば。

ついでに清水屋本店に寄ったがこちらは売り切れで閉店。大いに残念。秋の十勝産小豆が出回る頃にはロードバイクで行ってみたい。

処暑の候

2018年08月25日 | ひとりごと

だいぶ日が短くなってきた。仕事を終わって外に出たら高い空が夕焼け。猛威をふるった暑さも内場に。
朝顔が毎日咲く。週末に付き立川町通りの「セマクテ」に寄り道。トムヤム麺を食べると流石に熱くなる。

平穏な一週間が終わる。今週は4日だけ仕事。それでも十分疲れる。定期診察にかかりつけの病院に行って先日の人間ドックの検査結果を報告したら、最後に歳ですね。と病気ではないとありがたいような張り合いのない診断。加齢をいちいち気にしていてもしょうがない。老化防止にこのブログと涼しくなってきたのでロードバイクや山野草などの撮影行などせっせと励むことにしよう。


今日書くとしたら

2018年08月24日 | ひとりごと

慌ただしく仕事をこなし、夜になり、ちょっと近所で飲んでもうそろそろ寝る時間。
時間だけが進んで味気なさが残る。昼間役所に行ったがすでに公務員はすべて年下。老け顔もいるが基本60歳、もっとも65歳までいるらしいがそれでも年下。
育った年代で感性も違う。言葉が通じないのではと思うことも最近しばしばある。

最近、どんどん日本が壊れていくような感あり。自然災害の変化。政治の乱れ。ゴールが見えないのに隊列を組んで行進させようとする不思議な風潮。
愚民化政策の成功。未成年まで搾取の対象としようと年齢の引き下げ。どう見ても成人は25歳以上で良い。生活力イコール成人だと思うのだが。
なんとも薄気味悪さのみ。



祭りのあと

2018年08月23日 | ひとりごと

楽しかったJIA住宅部会の納涼会が終わり、ちょっと心に空白あり。1987年に入会以来、多くの優秀な建築家にお目にかかる機会があった。
雑誌に登場するような人でもいたってこの会では穏やか、謙虚。某大事務所の所長が住宅部会の忘年会に見え僕だって住宅の設計はできるとちょっと妙な発言をされていたのが記憶に残る。役員会議もダークスーツとジーンズが隣通しで席につくと言った具合で「建築家」という共通項さえあれば発言が許されるという会だった。
但し、先輩方も次々に引退される年になってきた。最近会議では年下の会員の方が多い。おとといの納涼会も最年長。親しくはさせていただいているがあと何年のお付き合いになるのだろう。先のことはさておきいろいろ課題の多いJIA。来月は東京大会。どんな会議になるのだろうか。

朝顔

2018年08月23日 | ひとりごと

秋の季語と教わってはいたがヤキモキして待っていた朝顔が咲き始めた。貧乏性で種を撒きすぎたので鉢が満員電車状態で葉が皆小さい。
それでも今年もきれいな花が眼を楽しませてくれる。鉢のうち自然に発芽して開花したのが最初になった。たくましい生命力。苗床を作ったほうが密植になり遅れをとる。
自然界の法則を見た思い。

JIA住宅部会の納涼会

2018年08月22日 | ひとりごと
納涼会とか新年会だとか、忘年会とか、花見だとかなにか理由を付けての飲み会がある。多くは飲食店で行われる。そういうものだと思っていた。
JIAはケータリングで宴会をすることが多い。さらに最近はセルフクッキングのケースが多い。住宅を設計するたるもの料理くらいできなくてはと故宮脇檀さんや故林昌二さん、渡辺武信さんなど凄腕のメンバーによって培われてきたとのこと。

ともすれば男社会の建設の世界にあってJIAに入るまでは未経験のことだった。その影響で職場の宴会もBBQや餃子、チーズフォンデューと持ち寄りで反省会と称してやってきた。



今日の納涼会は食材の買い出しから始まり下ごしらえ、調理と和気あいあいと進んだ。中心はやはり中澤さん、会場は中澤さんの出身である工学院大学関係者の山の家。建築家らしい山荘であり楽しいひと時を過ごすことができた。設営された会員に感謝。

原点

2018年08月19日 | ひとりごと

たまたま元の前工の校舎の前に建つ。校舎移転に北側の一棟だけが富士機械に売却され残った。門も残っている。その他は商業施設が立ち並び面影はない。高校を出てすぐに社会にではからここが最後の学校である。スバルのテーマカラーに塗られているがその他はほぼ当時のままだ。西側から電気科、機械科、建築科、工業化学科、土木科が入っていたと記憶する。

この棟は実習棟なので工場のような造りで一般校舎と違って梁間方向2スパンで中廊下もあるがもっぱら移動はバルコニーだった。階段もアパートのような外部階段。
当時8科10クラス。時代を移り変わりを反映して色染、繊維、建築、金属、工業化学、機械、電気、土木の順に設置されたとか。

3学年、30クラス、定員1500名。すべて男子、中学から上がるとなんとも圧迫感のある空間。昭和42年当時普通科の教員がインテリらしく振る舞っていたのに対し、専門科目の軍隊帰りの教員は教育はげんこつと心得ているといった具合。それでも修学旅行で不始末をしでかした受け持ちの生徒のために頭を刈ってかばってくれた担任の姿は未だに忘れられない。



建築科では1年生のときから製図の授業があり、校舎中央2階が製図室だった。絵を書くことが好きだったのでこれを活かせればと選んだ建築だったが基本理系の仕事である。3年間頭の痛い生活をおくることに。A1版のケント紙に課題を描いていくのだが最初は烏口で墨入れから。もはや死語であろう。さらに不器用である。定規の裏に表面張力で墨が広がりあっという間に真っ黒になることも。設計志望にもかかわらずかなり点数は悪かったと思う。2年、3年になっても大して上達せず、それでも頑張ってなんとか描けるようになって就職試験も学校の口添えでなんとか通り就職できた。
48名いた同級生は6名が進学し、残りはそれぞれ就職した。清水建設、大林組、戸田建設、錢高組、佐藤工業、松井建設、など大手建設会社にも就職できた良い時代だった。

鉛筆からマウスに変わっても頭で考えたことを紙に移し替えることは変わらない。51年にわたって図面を書いてきた。BIMなど設計製図のありかたもこれからどんどん変化し、分AIに能力を吸い取られそうな未来だ。ただ自分にとっては鉛筆でアイデアを何度もなぞりながら定規で清書したことが原点だ。自ら考えることは放棄したくない。

お盆過ぎの週末

2018年08月19日 | ひとりごと

3日働いて週末。なんていうこともない日常だが、代表取締役を降りて勤め人の気持ちも改めて思い出した。休日は待ち遠しいものだ。
また明日から3連休。リフレッシュして水曜日からまた仕事。暑さも少し秋に向かう気配だろうか。内場。寝冷えに気をつけよう。

晩夏。晩秋も渋くてよいが夏の終わり。これでこれは切なさもある。輝きが消えていく時間。

web会議

2018年08月17日 | ひとりごと

インターネットの普及は人間関係を空疎なものにもしている。SNSでは一方的な意見のみを主張し、不寛容な感性を助長していると言われている。政治の世界も典型かもしれない。最近はWEB会議として画像上での会議も増えてきた。肉声で、画像でその場を共有するということは歯がゆさがないわけではないが」意外と親しみが持てる。
今日の会議も直接面識のあるメンバー、都内に出向くのはなかなかままならないがなんとか意思は伝えられそう。

いきなり仕事

2018年08月16日 | ひとりごと

夏休みボケにもかかわらず大忙し。少し雨も降り涼しくなった。もっとも残暑厳しき折の晩夏。またぶり返すのであろう。
朝顔の蕾がようやく一つ。明後日あたり咲くのか。バタバタしていた1日も終わり。明日はどんな日になるやら。