今年も一泊くらいで両親と温泉にでも行こうと思ったらC19のおかげで宿の予約が取れず。そんなわけで軽くドライブと食事だけということに。
前橋は晴れでも山奥は小雨から曇り、少し回復してなんとか今年の紅葉に間に合う。
それにしても年ごとに両親の身体機能が衰えるのが気がかり。食欲だけは衰えないのだが。車の乗り降りも不自由そうで車中から眺めるのに留める。
去年の大井川鉄道ではもう少ししっかりしていたと思うのだが。
前橋は晴れでも山奥は小雨から曇り、少し回復してなんとか今年の紅葉に間に合う。
それにしても年ごとに両親の身体機能が衰えるのが気がかり。食欲だけは衰えないのだが。車の乗り降りも不自由そうで車中から眺めるのに留める。
去年の大井川鉄道ではもう少ししっかりしていたと思うのだが。
仕事も経営者の立場から離れると時間で区切れるもの。ようやくなれてきた。逆に戻ることもないだろうが戻れないだろう。
仕事での関係スアから廃業の挨拶のはがき。「古希」をきっかけにとのこと。仕事という生活の幹、経済的なことだけではなく、生きていくための幹なのだろう。
この年になると特に人間関係の煩わしさには一番閉口するが例えばJIA。日本建築家協会はやはり知的レベルの高い人達が集まっている。かつ殆どが経営者である。
自らのスキルで仕事を勝ち取ってきた面々でもある。知的ではあるが同時に学者では持ち合わせないたくましさも兼ね備えている。この仲間の中で30年以上にわたってお付き合いさせていただいたが様々な刺激が大いに人生を膨らませてくれた。いま住宅部会長を仰せつかって今更ながら文章を書くトレーニングをさせていただいている。これも実社会にとどまっていればこそであろう。しばらくはこの世界に身を置かせてもらおう。
昨日の紅葉が頭の中で整理できずにいるのに仕事であたふた。
昨日は雨の中の撮影で落ち着いて撮影できなかった。シャッター速度が落ちてきているのに手持ちで望遠。手ブレ防止機構を信用して撮ったがやはりどうも甘い。
三脚を抱えているおじさんたちを横目に岩場を上り下りしたが晴れとまでは言わないがやはり撮りにくい。更に腱鞘炎が追い打ち。
RX100Ⅵのほうが機動力があったかもしれないが、所詮コンデジ。撮った気分が違う。と、グダグダ考えても後の祭り。まあ今年の紅葉を思い出すための栞ぐらいにはなるか。
今日は群馬県庁を使ってドラマの撮影をしているらしい。昭和5年の庁舎はよくドラマの撮影に使われている。近代建築の職人による手造り感が現代技術では作り得ない味わいを演出している。
昨晩はアマゾンプライムビデオで無料のドクターxを見ていたらまさに昭和庁舎が帝都医科大学附属病院として出てきた。群馬県庁本庁舎はなぜかマスキングしてあるが群馬会館ははっきりと写っている。正面玄関の階段もなかなか迫力がある。
組織のどろどろとは関係なく半沢直樹では上野の東京国立博物館の階段室が出てくるし、浅間山荘事件では桐生の群馬大学理工学部講堂が出てくるといった具合。
建築の仕事に関わっているとある種のクイズをやっているようで面白い。
午前中はJIAの会議議事録のテープ起こし。もっとも磁気テープの時代ではないので音声ソフトの再生。2mほど離れたJBLで再生すると妙に臨場感。やはりホールと同じで間接音が大切のようだ。
要約しながらまとめて午後は家のメンテと親戚から頼まれた不動産の打ち合わせ、そのまま前橋広瀬川クリニックで定期受診。今年はおとなしくインフルエンザの予防注射を受けることにし、ついでに予約。
薬の飲み残しが3ヶ月の間に随分溜まってしまったので今回は精算。もどってJIAのオンラインのアーバントリップを視聴。清家清の旧宅の訪問。昭和の住宅氏には欠かさない住宅をご家族が守っている。
あっという間に一日が終わろうとしている。また明日から仕事。
山からは紅葉の知らせがあちこち舞い込む。ちょっと気になる。来月は只見線に進出と行きたいところ。列車の本数が少ないから早朝の出発か。
インスタグラムで自分にとって今一番楽しみにしているのは2014年に亡くなった青森県の工藤正市さんの残した膨大な量のネガフィルムを遺族がデジタル化して、毎日投稿されている画像である。
地元紙の記者をしなが撮りためた画像は現代の軽薄なインスタグラムの画像とは全く異質である。写真集ももうじき「みすず書房」より出版されるとのこと。
ジャパンタイムズ フォトエッセイ 「発見された遺産 工藤翔一の青森の親密な描写」として掲載されている。
インスタグラムより shoichi_kudo_aomori
https://www.instagram.com/shoichi_kudo_aomori/?hl=ja
青森県は昨年JIA全国大会で弘前市を訪れており未だ記憶に新しいところだ。ずっと青森県の写真を取り続けてこられた工藤正市さんの画像は1950年代のほとんどモノクロ画像のものだが不思議な存在感がある。
単に懐古趣味で懐かしがるのではなく、もっともまずその感情が沸き起こるのだが、撮影された人々相互の距離感が現代が失ったものを感じさせる。
決して豊かではない当時の状況ながら、夫々生き生きとした表情で写っている。また厳しい自然の中で寡黙だが力強い表情も印象的だ。
今は言葉も均一化された国内だが、それでも地元の人の間ではやわらかな青森方言がかわされていた。なぜかコンビニの定員は標準語。地元の女子高生は地元の言葉。いまでこそ夕方前橋を発ってもその日もうちの青森に到着する。北海道への玄関を新幹線にゆずった青森駅はその長いホームを持て余していた。記録映画に出てくる夜行列車から長い跨線橋を渡って青函連絡船に向かう風景を味わってみたかった。
地元紙の記者をしなが撮りためた画像は現代の軽薄なインスタグラムの画像とは全く異質である。写真集ももうじき「みすず書房」より出版されるとのこと。
ジャパンタイムズ フォトエッセイ 「発見された遺産 工藤翔一の青森の親密な描写」として掲載されている。
インスタグラムより shoichi_kudo_aomori
https://www.instagram.com/shoichi_kudo_aomori/?hl=ja
青森県は昨年JIA全国大会で弘前市を訪れており未だ記憶に新しいところだ。ずっと青森県の写真を取り続けてこられた工藤正市さんの画像は1950年代のほとんどモノクロ画像のものだが不思議な存在感がある。
単に懐古趣味で懐かしがるのではなく、もっともまずその感情が沸き起こるのだが、撮影された人々相互の距離感が現代が失ったものを感じさせる。
決して豊かではない当時の状況ながら、夫々生き生きとした表情で写っている。また厳しい自然の中で寡黙だが力強い表情も印象的だ。
今は言葉も均一化された国内だが、それでも地元の人の間ではやわらかな青森方言がかわされていた。なぜかコンビニの定員は標準語。地元の女子高生は地元の言葉。いまでこそ夕方前橋を発ってもその日もうちの青森に到着する。北海道への玄関を新幹線にゆずった青森駅はその長いホームを持て余していた。記録映画に出てくる夜行列車から長い跨線橋を渡って青函連絡船に向かう風景を味わってみたかった。
7日ごとに来る週末。これと行った感慨もないがひとまず一週間無事で何より。
来週はJIAの住宅部会の日の設営もあり気ぜわしい。今更ながらではあるが長年お世話になったかいだから有終の美を飾りたいところ。
とはいえ優秀な人達の集まり。凡才には少々荷が重い。
竣工住宅画像「土間のある平屋の家」設計監理:米田横堀建築研究所
昨日撮影した画像のレタッチ作業。建築写真の場合、超広角レンズでの撮影が多い。三脚に据えて撮影してもディスプレーで大きな画像にすると歪みが出やすい。
又晴れた日であればダイナミックレインジの限界を超すこともしばしば。アンダー気味に撮って白飛びを抑えるので露光調整も必要。
一枚、一枚丹念に調整。レンズ掃除に出したばかりなのにもう撮像素子に汚れが付着。開放なら気が付かないのだがケントク写真はパンフォーカスが基本だから絞らないわけには行かない。
現場の撮影のおかげで今日は腰が痛いうえに目がしょぼしょぼ。弱ったものだ。