2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

2017年を送る

2017年12月31日 | ひとりごと
遠野輪行 宮守川橋梁

あと3時間足らずで2017年が終る。そして2018年が始まる。
なぜ1月が一年の始まりかよくわからないところだ。やはり桜の時期、4月がふさわしいような気がする。
彼岸も過ぎ、芽吹きの季節。だんだん暖かなって、陽もどんどん伸びる。雪代で利根川が濁る。
早くも待ち遠しい。宿題の提出は4月まで先延ばしになるのかな。


蝋梅






菜の花



棚田



紫陽花



花野


晒菜升麻



木戸池



紅葉



紅葉



辛夷












OAからAI、これからの生きる力

2017年12月30日 | ひとりごと

OAも死後になりつつある。そろばん簿記は過去のものになってしまった。T定規もコンパスも、烏口も過去のものになってしまった。
いまはAIによって人間の仕事が奪われようとしている。OA以上に危ういのは考える事への驚異なのだ。
たとえ演算能力が低くても考えてこそ人間。

VR技術は大したものだ。円谷特撮の世界も今から見れば極めて現実味に乏しい。
しかし自分たちは生身の動物である。一種族の動物にすぎない。
AIなどの技術に頼らず行きていかなければならない。
AIの限界はデータの集積から判断することは出来ても個人の夢を持たないことであろう。

電子技術の世界は様々なインフラが整った環境でしか成立しない。
このことは東北大震災後の計画停電を経験した者にとってはそう遠い過去のことではないし、今後起こり得る人災、天災を前にした時どう生き延びるか、最後は動物としての能力が問われるのだ。

仕事柄、極寒の山間部の吹雪が吹き荒れる現場から灼熱の炎天下の作業も経験したがこれとて監理者として短時間経験したにすぎない。
現場の人達の負荷は大変なものだ。あの現実の感覚を決して忘れてはいけないのだ。

冬休み

2017年12月29日 | ひとりごと

今日から一週間の冬休み。片付けごとで一日が終わりそう。
変化の大きな一年。その間、気分転換に久しぶりの小旅行も

遠野輪行は楽しかったがこれから体力低下との戦いの輪行でもある。
まずは筋力アップを図らねば。







送別会

2017年12月28日 | ひとりごと

今年最後の仕事の日、大掃除をして終わる。
夕方から「橋本匡司」君の送別会。
12年にわたってスタッフとしての仕事を全うしてくれた。
これから新しい世界に踏み込むが彼の誠実さを持ってすれば必ずや道は開けるだろう。健闘を祈る。

明日は大掃除

2017年12月27日 | ひとりごと

今日で事実上の今年の業務は終了。明日は大掃除。
あっという間の一年だった。去年の今頃は高崎駅東口のクリニックの現場の追い込みでなんとも気ぜわしかった。
秋の11月にはいよいよ代表取締役を退任。来年は未知の世界がまた始まる。
事務所とともに27年、修行時代が21年。突き動かしてきた何かとの別れ。また新たな世界に飛び込む。

忘年会もあと一回

2017年12月26日 | ひとりごと

今日は群馬中小企業家同友会ベテランの集まり。参加条件が60歳以上。
但し元気なので集まる。経営者の孤独を共有してきた仲間である。

エキータではパチンコ店の開店準備中。駅前だからといっても空き家だらけのビル。地方都市の衰退の象徴であろう。
二次会はカラオケ。1960年代の歌が中心になる。皆さん、まだまだ元気。この元気を来年に繋げねば。

聖夜

2017年12月24日 | ひとりごと

キリスト教徒にとって大切な日。神道の自分には関係ないなどと狭い了見は置いておいて、まずは素直にともに祝いたい。
2000年以上に及ぶ宗教の歴史。科学文明が発達したと言っても未だ宗教の力は大きい。
エルサレムの扱いについての問題は来年の宿題となった。ぜひ平和なうちに和解されますよう祈りたい。


天皇誕生日

2017年12月23日 | ひとりごと

天皇陛下の84歳の誕生日。ますますご健康であられてほしい。
陛下は先の敗戦の責任を一身に負ってこられたのではないかと思う。
戦跡はじめ天災の現場まで実に丁寧に出向かれた。ペリリュー島まで出向かれたのも戦争を知らない世代である現政権中枢への戒めではなかったのだろうか。
1941年、中国東北部(満州)の権益を巡ってアメリカを始めとする列強との対立からABCD包囲網(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)によって石油禁輸などの経済封鎖を受けた。軍部を始め力を過信し、また政府や官僚もメンツから座して日干しになるよりもと軍事行動を起こしたのが太平洋戦争といわれる。

いま北朝鮮に対して「制裁」と称して石油製品禁輸を国連が決めたと報道された。
1941年の日本が暴発した状況と真逆とはいえ「窮鼠猫を噛む」と故事に似る。やけになって北朝鮮が行動を起こしてもおそらくそれは勝ち目のない戦になるだろう。
しかしそのことによって日本にも甚大な被害が出る。なにしろ新潟からわずか1200kmのところに平壌はあるのだ。
制裁という言葉はひどく高慢に聞こえる。日本の立場は番長の後ろからアカンベをしている小心者に過ぎない。
なんとしてでも開戦は避けてほしい。朝鮮半島にいる在留邦人の保護など具体的な対応策が見えない。

夕焼け

2017年12月22日 | ひとりごと

夕方、事務所の外に出てみたら夕焼けが何時になく美しい。
冬至を過ぎると陽が長くなる。早くも待ち遠しい春だ。

いよいよ年賀状の準備。名簿を見ながら65年を振り返る。今年も何人か旅立たれてしまった。寂しいものである。

講習会

2017年12月20日 | ひとりごと

講習会、なんとか終わる。今日は様々な分野の人が受講。得意な人と、不得意、ベテランと初心者と手応えは様々。工務店や大工さんは腕だけ良ければ良かった時代は終わった。省エネルギーという、いわば重たい義務を住宅設計は負わされた。もちろん穏やかな温熱環境の住宅の住み心地の良さは地区30数年の低断熱高気密の家に住んでいるとその有難味は今朝も感じた。

ただ温熱環境中心に住宅を設計するとこれは画一的な内容になりかねない。
戸建住宅の設計にこだわり、空間の面白さ、ディテールの豊かさも追求してきた立場としては限られた予算で双方を達成するのはなんとも頭の痛いことである。いま環境性能を軽視する発言は許されない雰囲気がある。ただこれは必要条件では有っても十分条件には無い得ないことは常に意識しなくてはならないだろう。

エアバス社とボーイング社の中型旅客機の区別が付くのはよっぽどのマニアだ。航空機は空気抵抗との戦いだ。結局物理的合理性から形態が酷似したものに収斂していってしまった。
住宅において環境性能のみを追及うしていけば地域ごとに同じような形態の町並みになってしまうだろう。
先人が森から出て集落を作り、住み始めて住宅の歴史は始まった。気候、風土、宗教と様々な外的要因によって世界中違った表情の住宅が建てられていった。そして以前立てる人の多くは経験則による判断も含め、これら要因に大きく縛られている。

一方ではインターネット環境で世界中の他地域の住宅の情報が得られるようになった。
太平洋戦争の敗戦による欧米コンプレックスはもはや日本人のDNAになっったかのような住宅展示場があちこちに建てられた。
建築様式はカオスの状態に立ち入った。なんとも先の見えないことである。と、今日の講習会を振り返った。

予習

2017年12月19日 | ひとりごと

明日は講習会。と言っても講師。なぜか苦手な環境性能について、かつ講演の内容は各章時間配分まで指定されている。
省エネが基準から規則に変わろうとしている。つまり高性能であることが当たり前になり付加価値が無くなるということ。

住宅設計の価値が改めて問われている。そんなわけでテキストをあちこちひっくり返し頭を抱える夜半となった。

寒い休日

2017年12月18日 | ひとりごと

寒いが静かな一日。夕焼け雲が印象的な空だった。



月曜日、朝一番で事務処理を済ませ冬の浅間山を撮影に出かける。噴煙がほぼ真っ直ぐに立ち上る。南斜面は鹿の子斑、北面は真っ白。
葉が落ちた木立越しに雄大な浅間山を愉しむ。

風花が舞う街で

2017年12月17日 | ひとりごと

今年始めて前橋の街に「風花」が舞う。「吹越し」とも言う。むしろこのあたりではこちらのほうが多く使われるかもしれないが語感がこちらの方がきれいと思われる。
いよいよ冬本番の感が強い。
スズラン百貨店の地下に買い物に寄ったら地方の古くからの百貨店がいくつも閉店したことによりそれら発行の「全国共通百貨店商品券」の取扱中止の案内が掲示されていた。もちろんスズラン百貨店のことではなく都心の百貨店さえ厳しい中、地方の百貨店の置かれている立場は一層厳しいのだろう。

店名の多くは地方の呉服屋さんなどが母体のような店名だから自社ブランドの安い衣料品が大量に出回る時代になりそれはそれでありがたいのだが百貨店の持っていた祝祭空間性、「ハレ」の場が無くなるというのは地方文化の衰退を一層推し進めるような気がする。

TVで再生エネルギーに関して日本が取り残されようとしているということが放送されていた。
トランプ大統領の偏狭な自己中心主義的な国への対米盲従の日本政府の姿勢は完全に足かせになっているようだ。
時代が大きく世界規模で変わりつつある現在、地方が取り残されるのではなく自立する道を真剣に考えなくてはならない時が来た。