2018 備忘録

思いついたことを書き残す。

小沼俊彦さんを見送る。

2014年06月26日 | 訃報
小沼俊彦さん、6月22日、68歳にてご逝去とのこと。まだ早すぎる。残念だ。

小沼さんに初めてお目にかかったのは社会人となって勤め始めた福島建築設計計算事務所(現福島建築設計事務所)であった。
今日のお通夜の際に映写されたスライドには大阪万博の松下館の前と思われる写真が映し出されていた。
まさに小沼さんと出会った年の出来事である。

当時第一設計部に配属になり、先輩2名に上に小沼さんがいた。構造計算も手掛け、万能の尊敬できる先輩であった。
胃腸を病み、げっそりしていたころだったが、非常に気の強さは天下一品だったが良く面倒を見ていただいた。
昼休みに所員連れだってボーリングに出かけたり、社員旅行や公私ともに過ごしたそんな思い出がよぎる。

二十歳代で北屋敷昭さんとともに独立開業し、その後自らの「小沼設計」を設立し現在に至っていた。
大きな病気をいくつも経験しながら克服してきた精神力もついに及ばなかったようである。

自分の若いころの恥ずかしい姿を知る人がここのところ相次いで亡くなった。
遺影を見つめていると、自分の現在の態を責められているようで切ない。



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「富岡製糸場」が負うもの

2014年06月21日 | 建    築
旧官営富岡製糸場が 世界文化遺産に登録決定した。
江戸末期から昭和に至る絹生糸の輸出が日本の近代化を支えたと言われている。
なかでも群馬が果たした役割は種から撚糸まで非常に大きく、昭和40年代までその面影を残していた。
その一つの象徴が富岡製糸場であり、群馬県人として誇らしいものである。

フランスからのプラント輸出の形で作られたことにより日本国内では数少ないフランス式の建築群が多く残っていることも特徴の一つだ。
レンガの積み方もイギリス積みの実直な感じより洒脱に見える。
とにかく大きな工場がまるごと原型をとどめていることは特筆に値する。

世界文化遺産登録はこれらを後世まで保全する義務を負うことである。

2.11豪雪ではこの施設も大きな被害を受けているが修復には至っていない。
もともと城郭のように頑丈な建築ではない。現在の構造設計から見ると疑問点だらけの建築である。
さらに木造の性質上腐朽も問題もつきまとう。
富岡市に寄贈され様々な保護の手が差し延べられると思うが今後どのように管理していくのか、課題は多い。
片倉工業のような私企業によって守られてきたことも奇跡に近い。
地元群馬県はもちろん、日本全体で保存する責任を負うことになったとも言える。

今はお祝いムードだが、決して浦安のようなアトラクションの施設ではない。
静止した工場群である。観光施設ではないのだ。
改めて冷静にもう一度世界文化遺産とどう関わり合おうとするのか考えたい。


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麦秋から夏至

2014年06月04日 | ひとりごと

群馬の平野では麦の穂が実り麦秋を迎えている。
麦秋という言葉を知ったのは結構年をとってからである。

この時期かつては麦わらを現地で直接焼いたものだから盛大な煙で自動車の走行にも支障があるほどだった。
米の収穫は一年の終わりのような開放感があるものだが麦は米作前の慌ただしい気分の中にある。

麦の刈り取りが終わると田んぼに水が張られ蛙の大合唱が始まる。
なんとも生命感に満ちた夏の始まりである。

麦の収穫が終わりではなく新たな生命を育むことを暗示しているといえよう。
その意味では「秋」ではないのだ。さみしさは感じられない。

そんな思いから結構「麦秋」を楽しみにしている。

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耐用年数

2014年06月04日 | ひとりごと
最近、インターネットオークションで古い写真撮影用レンズを手に入れた。
動作に難があるので修理に出したがすでに部品が消耗しきっていて部品交換以外手がないという回答であった。
自分のも40年以上前のものだがちゃんと動く。ちょっと残念というところだが古いものなのでいかしかたない。
一方、完全にすり減るまで使われたということは使い方に問題があったにせよ、幸福なことではないだろうか。

今、自動車が動くのに古くなると税金が上がってしまう悪法がある。どうみても新車を買わせたい自動車メーカーの思惑が見え隠れする。
新車を作るために発生する環境負荷と乗り続けることによって発生する環境負荷は実証されていない。
仕事で使っている車は10年乗って220,000km走行してもまったく元気だ。

ろくに使われていなくても簡単に廃棄されてしもうものが多すぎないだろうか。
自分自身も多分脳細胞をろくに使わない生活をしてきたし、体に至っては疲れると体に良くないと思う方だからまだまだ耐用年数が残っている。

オートフォーカスになってカメラは手軽に扱えるようになった。更に手ぶれ防止などもつくようになった。
トドメは撮像素子がデジタルになったことだ。フィルム代、現像代を気にすることなくシャッターが切れる。

結果撮影対象を注視することも少なくなった。
古いレンズをデジタル機に接続してカメラ遊びを再開した。
露出以外はすべて手動である。
遊びであるから合焦から構図、被写界深度の選択、すべてジックリとやる。
もっともすべて自動で撮ったほうがきれいな場合が多いからかなわない。
プリントが待ち遠しい思いも味わう。

レコード針も針先こそ交換するが30年前のものがきちんと働いてくれる。
やはり40年前のJBLはコーン紙のエッジを2回張り替えながら思い出という時間を伴って鳴ってくれる。

さすがにロードバイクだけは最新型のほうが良い。だが古いデローザにすれ違うとやはり見とれてしまう。

最近やや後ろ向きの自分だがこれからの行末を少し自分軌跡を振り替えつつゆっくりと考えようと思う。






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