小沼俊彦さん、6月22日、68歳にてご逝去とのこと。まだ早すぎる。残念だ。
小沼さんに初めてお目にかかったのは社会人となって勤め始めた福島建築設計計算事務所(現福島建築設計事務所)であった。
今日のお通夜の際に映写されたスライドには大阪万博の松下館の前と思われる写真が映し出されていた。
まさに小沼さんと出会った年の出来事である。
当時第一設計部に配属になり、先輩2名に上に小沼さんがいた。構造計算も手掛け、万能の尊敬できる先輩であった。
胃腸を病み、げっそりしていたころだったが、非常に気の強さは天下一品だったが良く面倒を見ていただいた。
昼休みに所員連れだってボーリングに出かけたり、社員旅行や公私ともに過ごしたそんな思い出がよぎる。
二十歳代で北屋敷昭さんとともに独立開業し、その後自らの「小沼設計」を設立し現在に至っていた。
大きな病気をいくつも経験しながら克服してきた精神力もついに及ばなかったようである。
自分の若いころの恥ずかしい姿を知る人がここのところ相次いで亡くなった。
遺影を見つめていると、自分の現在の態を責められているようで切ない。
小沼さんに初めてお目にかかったのは社会人となって勤め始めた福島建築設計計算事務所(現福島建築設計事務所)であった。
今日のお通夜の際に映写されたスライドには大阪万博の松下館の前と思われる写真が映し出されていた。
まさに小沼さんと出会った年の出来事である。
当時第一設計部に配属になり、先輩2名に上に小沼さんがいた。構造計算も手掛け、万能の尊敬できる先輩であった。
胃腸を病み、げっそりしていたころだったが、非常に気の強さは天下一品だったが良く面倒を見ていただいた。
昼休みに所員連れだってボーリングに出かけたり、社員旅行や公私ともに過ごしたそんな思い出がよぎる。
二十歳代で北屋敷昭さんとともに独立開業し、その後自らの「小沼設計」を設立し現在に至っていた。
大きな病気をいくつも経験しながら克服してきた精神力もついに及ばなかったようである。
自分の若いころの恥ずかしい姿を知る人がここのところ相次いで亡くなった。
遺影を見つめていると、自分の現在の態を責められているようで切ない。